CROWN II Lesson 1
Looking at Things, East and West
ものを眺めること――東と西――
→ものの見方――東洋と西洋――
橋を架けられない違いはまったく存在しない。
→克服できない差異はまったくない。
0.
アメリカ人と日本人は同じやり方でものごとを見るのであろうか?
あるアメリカ人の心理学者は、そういうことはないと述べている。
→あるアメリカ人の心理学者は、同じやり方でものごとを見ることはないと述べている。
ユミは彼の理論に関する雑誌の記事を読んだ。
1.1
あなたはテレビの前に坐っている。
映像が現れる。
それは海底の映像である。
あちらこちらを泳いでいる何匹かの小魚がいて、貝殻と砂と海草がある。
→あちらこちらを泳いでいる小魚が何匹かいて、貝殻と砂と海草がある。
その後、3匹の大きな魚がそばを泳いで通りすぎる。
それら[=3匹の大きな魚]は鮮やかな色をしており、どこかへ行くところであるように見える。
→3匹の大きな魚は鮮やかな色彩をしており、どこかへ行くところであるようだ。
あなたは短時間の間、この映像を目にする。
1.2
あとになって、あなたはあなたが何を見たのかを説明するように頼まれる。
→のちに、自分の見たものを説明するように、あなたは求められる。
これは心理テストであった。
あなたはそれがテストであることを知っていたが、しかし、彼らが何をテストしているのかをあなたは知らないでいる。
*「彼ら」とは、実験をしている人々のことであり、具体的には、あとの部分を読めばわかるが、ミシガン大学の心理学の教授リチャード=ニスベットと その研究室に在籍している研究者・大学院生であろうが、この時点では不明である。「実験している人々」とするのも、長くなりすぎるし、むだでもある。こう いう場合には、つぎの2通りの処理がある。(1)省略する、(2)省略し、同時に受身の文にする。
(1)→あなたはそれがテストであることを知っていたが、しかし、何をテストしているのか、知らないでいる。
(2)→あなたはそれがテストであることを知っていたが、しかし、何がテストされているのか、知らないでいる。
*(1)の場合は、「テストする」の主語が気になることがあるが、(2)のように受身にすると、そういった問題が避けられる。あまり大したことではないが。
あなたは何を見たのであろうか?
1.3
もしもあなたがアメリカ人であるならば、たぶん、画面を横切って泳ぐ大きな、色のついた魚を目にしたであろう。
→アメリカ人であれば、たぶん、画面を横切って泳ぐ大きな、色のついた魚を目にしたであろう。
*「あなた」を繰り返すがくどいと感じる場合には、後者のように訳すという手もある。
もしもあなたが日本人であるならば、あなたはまた、小さな魚や砂や貝殻や海草にも気がついたであろう。
→日本人であれば、小さな魚や砂や貝殻や海草にも気がついたであろう。
このテストを受けるアジア人は、アメリカ人よりも、70%多く背景に気づく傾向にある。
*一見すると混乱する人もいるかもしれないが、つぎのように段階を追っていけばわかると思う。
Asians are likely to notice the background.
アジア人は背景に気づく傾向にある。
Asians are more likely than Americans to notice the background.
アジア人はアメリカ人よりも背景に気づく傾向にある。
Asians are 70 percent more likely than Americans to notice the background.
アジア人はアメリカ人よりも、70%多く背景に気づく傾向にある。
Asians {who take this test} are 70 percent more likely than Americans to notice the background.
{このテストを受ける}アジア人はアメリカ人よりも、70%多く背景に気づく傾向にある。
彼らは、貝殻や砂や海草についての2倍多くのコメントをする。
→アジア人は貝殻や砂や海草について、(アメリカ人の)2倍のコメントをする。
*as many comments as ~: ~と同じくらい多くのコメント
twice as many comments as ~: ~の2倍多くのコメント
They make many comments about the shells, sand, and seaweed.
彼らは貝殻と砂と海草について多くのコメントをする。
They make as many comments about the shells, sand, and seaweed (as Americans).
彼らは貝殻と砂と海草について、(アメリカ人と同じくらい)多くのコメントをする。
They make twice as many comments about the shells, sand, and seaweed (as Americans).
彼らは貝殻と砂と海草について、(アメリカ人の)2倍のコメントをする。
アメリカ人は大きな魚だけを見る傾向にある。
cf. Americans are more likely (than Asians) to see only the big fish.
アメリカ人は(アジア人よりも)大きな魚だけを見る傾向にある。
2.1
リチャード=ニスベットがこのテストを作成したのであるが、彼はミシガン大学の心理学の教授である。
彼は、自分の大学[=ミシガン大学]と中国と韓国と日本の大学で、アジア(の学生)ならびにヨーロッパ系アメリカ人の学生に、これ、ならびに類似のテストを行なった。
*Asian and European-American students
= Asian students and European-American students
Asian studentsは、中国・韓国・日本の大学にいるアジア人の学生のこと。
European-American studentsは、先祖がヨーロッパ出身の白人のアメリカ人のこと。たんにAmerican studentsだと、ヨーロッパ系以外のアメリカ人も入ってしまう。
これらすべての場所において、結果は同じである。
ニスベット教授は、私たちは「東」と「西」について本当に話をすることができると述べている。
2.2
ニスベット教授を含めて、東洋と西洋とにおけるものの考え方は古代中国と古代ギリシアにはるばる遡(さかのぼ)ると考える人もいる。
西洋では、人々は独自の思想に対して常に敬意を払ってきた。
ギリシア人は討論を愛した。
→ギリシア人は討論を大切だと考えた。
彼らは家畜を飼い、釣りをすることで生計を立てたので、ギリシア人は独立心が強かったのである。
一方、中国では、人々は常に密接な社会で暮らしてきているのであるが、公然と行なわれる討論という本物の伝統がなかった。
中国社会は農耕に基づいており、農耕は密接な協調性を必要とした。
日本の伝統は、中国の伝統と似ている。
2.3
2000年のノーベル賞受賞者である白川英樹博士は、つぎのように述べている。「日本の文化は稲作に基づいている。
それ[=稲作]は多くの水を必要とし、だれもが平等にそれ[=水]を分かち合わなければならない。
田植えもまた、同じ速度で一緒に働く何組もの人々を必要とした。
こうしたことすべては、個性は奨励されないでいたということを意味している。
日本人の子どもは、現在、突き出ている釘は叩かれて平らにされるということを教えられる。
→日本人の子どもは、現在、出る杭は打たれるということを教えられる。
*to stick up: 上に突き出る
to beat down: 叩いて平らにする
to get beaten down: 叩いて平らにされる▼beatenはto beatの過去分詞。to get beaten downの直訳としては、「叩いて平らにされた状態になる」。
一方、アメリカ人の子どもは、うるさい車輪はオイルを差してもらえると教えられる。
3.1
東洋の人々が、西洋の人々とは違うやり方でものごとを見るという点で、だれもがニスベット教授と意見が一致するわけではない。
*to agree with O that S' V' ...: …ということでOと意見が一致する;…という点でOと意見が一致する
同じ映像を見ている2人の人が、ちがうものを見ていると考えることはたいそう奇妙であるとほぼだれもが思う。
おそらく、ニスベット教授は「東洋」と「西洋」とについて語る場合に、誤りを犯しているのであろう。
*in talking about ...: …について話すときに;…について話す場合に▼直訳としては「…について話すことにおいて」となる。
われわれが中国と韓国とタイと日本とを比較する場合、あなたは多くの文化的な違いに気づくであろう。
→中国と韓国とタイと日本を比較すると、多くの文化的な差異に気づくであろう。
「東洋」と「西洋」とについて語り始める場合、あなたはたぶん、一種の既成概念を作り上げつつあるのであろう。
*3.1は、とくに、行間が飛んでいるように感じる。原文を削りに削っているような気がする。
3.2
たとえそうであっても、ニスベット教授の理論は異文化間理解のためにはたいへん重要である。
*of great importance = very important▼greatly importantは不自然なので、very importantとした。
of + 抽象名詞 = 形容詞
以下に、いくつか例を挙げておく。
of importance = important
of use = usefull
of no use = useless
さまざまな文化的背景を備えた人々の間の相互理解は、差異を認識することから始まる。
もしもわれわれが可能な差異に気がつかないのであるならば、われわれは最終的には互いに誤解し合うことになるかもしれない。
*to end up doing: 最後には…することになる;結局…することになる
もしそうであるならば、われわれはニスベット教授の理論を慎重に理解する必要があるけれども、それ[=ニスベット教授の理論]は相互理解に向けての1歩である。
実際のところ、ニスベット教授はつぎのように述べている。「東洋でのものの考え方を知るようになればなるほど、ますます私はそれら[=東洋でのものの考え方]に対して敬意を抱くようになる。
アジア人はわれわれが学ぶことができる、思考するための習慣をたくさん備えている。
*thinking habit: 思考するための習慣▼thinkingは動名詞であって、現在分詞ではない。名詞を修飾する動名詞には「…するための~」の意味がある。
cf. a sleeping car: 眠るための車両→寝台車
a walking stick: 歩くための杖→杖
今より多くのものごとを私は理解したいと思う」
*この文でのseeは「見る」という意味でもつうじるし、同時に「理解する;わかる」でもつうじる。
〔了〕
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