CROWN II Lesson 2
Dreamtime
ドリームタイム
―Australian Aborigines and the Art of Living―
――オーストラリア先住民アボリジニーと生きることに関する芸術[=生きる技術]――
芸術は物ではない;それは道である。
――エルバート=ハバード――
0.
「原始的な」人々による古代芸術には、きわめて現代的に見えるものがあります。
どうしてこのようなことがありうるのでしょうか?
オーストラリア出身のALT(語学教育の助手)であるジョン=ケリーはオーストラリアのアボリジニーの芸術について自分が担当しているクラスに(口頭による)発表を行ないます。
1.01
今日、わたくしはアボリジニーの芸術をいくつか、あなたがたにお見せしたいと思います。
AborigineやAboriginalという語はオーストラリアの先住民を表します。
ほとんどのアオリジニーは、今日、ほかのオーストラリア人と同じ様式で生活していますが、およそ10パーセントはオーストラリアの中央部にある広大な砂漠地帯で暮らし続けています。
そこは、彼らが数千年に亙(わた)って高度に芸術的な絵画を創作してきた場所です。
実例のうちのいくつかを見てみましょう。
1.02
絵1は「点描画」です。
点描画は一種の地図であると考えられています。
オーストラリアの先住民は、図形を地面に描いて、どこに動物や食用植物や水があるのかを示しました。
orオーストラリアの先住民は、どこに動物や食用植物があるのかを示すために、図形を地面に描きました。
1.03
絵2は「樹皮画」です。
それ[=樹皮画]は樹皮に(ずっと)描かれてきました。
ここでは[=樹皮画では]、私たちは精霊や鳥や動物を目にします――すべては繊細な線で描かれています。
交差する線を描くことによって、陰影効果が生み出されます。
1.04
絵3は「レントゲン画」の実例です。
あなたがたは、X線写真に写っているように骨や動物のおなかの中を目にすることができます。その結果、動物のどの部分が食べられるのかがあなたがたにはわかります。
*「あなたがた」を省略すると、つぎのようになる。
→X線写真に写っているように骨や動物のおなかの中を目にすることができます。その結果、動物のどの部分が食べられるのかがわかります。
1.05
こうした絵画の技法が何千年にも亙(わた)ってオーストラリアのアボリジニーによって用いられてきたということは驚くべきことである。
アボリジニーの画家によって生み出されたほかの多くの絵画の技法があります。
*many(多くの)と、other(ほかの)を、つぎのように処理するという方法もある。
→ほかにも、アボリジニーの画家によって生み出された絵画の技法が多くあります。
なぜ、彼らはそれほどまでに長く、絵画のこうした伝統を続けてきたのでしょうか?
2.01
アボリジニーがどこから来たのか、彼らが何者であるのか、彼らはどのように暮らしているのかについての物語を、絵画が教えてくれるという事実に、その解答はあります。
それら[=絵画]は彼ら[=アボリジニー]が「ドリームタイム」と呼ぶものの形式で民族の歴史や伝統や法律や叡智を教えてくれます。
自分たち自身の書記体系がないので、口伝えのことばや絵画や歌や踊りによってドリームタイムの物語をアボリジニーは(下の世代に)伝えてきました。
彼らは数時間もの間、あるいは数日間、あるいは数週間にさえ亙って歌ったり、踊ったりし続けます。
自然に対する彼らの敬意は、ドリームタイムの物語の基礎なのですが、その自然に対する敬意は私たちに、今日、私たちが忘れてしまいがちな叡智を思い出させてくれます。
ドリームタイムは時間についての私たちの通常の観念とほとんど関係がありません。
過去と現在と未来はみな、ちょうど私たちの夢の中でのように、結合します。
ドリームタイムはアボリジニーにとって実在であり、それは彼らの世界を形作り続けています。
彼らにとって世界は連続した円環なのです。
2.02
実在についてのこの観念は私たちには奇妙なものに思えるかもしれません。
世界は個別のものから構成されていると信じる傾向が私たちにはあります。
とはいえ、ものごとはなんらかの方法で結合されており、実在は私たちが信じるのとはちがって、それほどはっきりしていないということを、現代の科学は述べています。
換言すれば、「原始的」な人々のじつに古くからの考えは現代科学の考えにきわめて類似しているのです。
3.01
さて、アボリジニーの歴史を手短に見てみましょう。
1988年、オーストラリアは入植200年を祝いましたが、アボリジニーには祝うべきものがほとんどありませんでした。
1700年ごろに「発見された」後、アボリジニーは自分たちの土地を追い出され、「野蛮人」と呼ばれ、殺されさえもしました。
3.02
1910年から1971年の間、政府は何千人ものアボリジニーの子どもを家族から取り上げ、白人の共同体で養育しました。
彼ら[=アボリジニーの子どもたち]が教育を受け、文明化されるのを望んだのです。
しかしながら、この計画は結局は彼らの伝統を破壊したにすぎなかったのでした。
彼らが土地から切り離されたという事実は、彼らにとって多くのことを意味しました。なぜなら、土地は彼らの民族の精霊と魂とがその根拠を置いている場所だからです。
3.03
人気のあるアボリジニーの音楽家であるアーチー=ローチはこの「盗まれた世代」の痛みに関して歌っています。
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太陽はまるい、月はまるい――君の人生の旅も円を描いてぐるりと移動する。
けれども、もしも円環が破壊されたなら、君はどの方向に進めばよいのかわからない。
君は宇宙を漂っている、君はどこにもいない。
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3.04
近年、アボリジニーとほかのオーストラリア人とを和解させる運動があります。
1970年代以来、広大な面積の土地がアボリジニーの管理下に返還されています。
ウールルー、すなわちエアーズロックはその実例です。
より多くのオーストラリア人がアボリジニーの文化を学び、よく理解し始めると、彼らは過去において起こったことに対してアボリジニーに補償したいと思います。
3.05
アボリジニーの芸術は痛みと差別を克服し、人生の意味を表現する方法として見なすことができます。
それ[=アボリジニーの芸術]は生きることに関する芸術であり、生きる技術なのです。
*artには「芸術」のほかに、「方法;技術:技芸」などの意味があり、アボリジニーのartには、たとえば点描画が一種の地図であったり、レント ゲン画によって食用可能な部位がわかったりと、実用的な側面もあり、たんなる芸術ではない。両方の意味を訳そうとすると、an art of livingは「生きることに関する芸術であり、生きる技術」「生きるための芸術・技術」などとするしかないようである。
〔了〕
1 件のコメント:
こんなのが欲しかった!!
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