CROWN II Lesson 3
Crossing the Border ―Médecins sans Frontières―
国境を超えて――国境なき医師団――
われわれの真なる国籍は人類である。
――H.G.ウェルズ――
0.
女医貫戸朋子は1994年にMSF[=国境なき医師団]に参加した。
彼女はこの国際的なボランティア団体[=国境なき医師団]とともに現地で取り組んだ最初の日本人であった。
彼女は自分の経験について高校生の集まりに対してスピーチを行なう。
1.1
日本で医師として約8年間働いた後、私はジュネーブ大学でさらに研究するためにスイスに赴きました。
まさにそこ[=スイス]で私は国境なき医師団(MSF)に参加したのですが、それは英語ではDoctors Without Borders(ドクターズ・ウィッズアウト・ボーダーズ)として知られています。
or私が私は国境なき医師団(MSF)に参加したのはそこ[=スイス]でであり、それは英語ではDoctors Without Borders(ドクターズ・ウィッズアウト・ボーダーズ)として知られています。
MSF[=国境なき医師団]は、戦争や災害の結果、病気になったり、ケガをしたりしている世界中の人々を介護する医師と看護師のボランティア団体です。
それ[=国境なき医師団]は主に普通の人々によって支援されている非政府組織(NGO)です。
MSF[=国境なき医師団]は1971年にフランスで設立され、それ以来(ずっと)、人種や宗教や、あるいは政治上の信念がなんであれ、そのような人々に医療援助を与え(続け)ています。
1.2
MSF[=国境なき医師団]に参加する前、医師として他人にどのくらい役に立っているのかについて、私は長い間ずっと考えていました。
日本では決して出会うことがないさまざまな文化やものごとを見たいと私は思っていました。
私は新聞でMSF[=国境なき医師団]について(の記事)を読んだことがありましたし、また、MSFにお金を寄付したことのある友人も私にはいました。
それで、パリにあるMSFの事務局へ、その組織に参加したいと思っていると書いた手紙を私は送りました。
彼らは受諾してくれ、そして私はスリランカにあるマドゥー難民キャンプに派遣されましたが、そこ[=マドゥー]では戦闘が続いていました。
*Madhu: 英語の発音記号からすると「マードゥ」となるところだが、いろいろと調べると「マドゥー」と表記するのが一般的。現地語の発音だと「マドゥー」となるのであろう。
2.1
マドゥーでは2万8千人の難民がいましたが、それなのに、たったのひとつの小さな病院しかなく、そこ[=病院]にはわずかに2人の看護師と2人のタミル人の医師と、通訳と保健指導員[=ヘルスワーカー]しかいなかったのです。
→マドゥーでは2万8千人の難民がいましたが、それなのに、小さな病院がたったのひとつしかなく、そこ[=病院]にはわずかに2人の看護師と2人のタミル人の医師と、通訳と保健指導員[=ヘルスワーカー]しかいなかったのです。
私たちには仕事をするためのごく単純な医療器具しかありませんでした。
私たちは旧式の器具で、きわめて多くの人を治療しなければならなかったので、悲しいと感じるときもありました。
2.2
私たちは午前9時に仕事を始め、毎日およそ150人(の人々を)治療しました。
彼らはタミル語を話しました。
私たちは彼らに簡単な質問をし、何をするべきかを決めました。
午後、私たちは8つのベッドにいる人々――たいていは妊婦と赤ん坊でした――を治療しました。
ときおり、私たちはマドゥーから8キロメートル離れた小さなキャンプに赴きました。
私たちは朝から夜まで働きました。
2.3
マラリヤ・喘息(ぜんそく)・肺炎――これらの病気が最もありふれたものでした。
疾病(しっぺい)の主たる原因のひとつは粗末な食事と水でした。
雨季が10月に到来すると、下痢が増え、私たちは自分たちの(診ている)子どもたちのうちの何人かを亡くしました。
私たちは、私たちのもとにやってきたものであればだれでも治療しますし、たとえ武器を携帯している兵士であっても治療しますが、しかし、彼ら[=兵士たち]が武器をはずした後に限ってのことですが。
2.4
安全だろうと私たちは言われました。
しかしながら、夜間、外出しないように命ぜられたときがありました。
外出するのが安全かどうかを確認するために私たちはラジオに耳を傾けました。
マドゥーでの私たちの勤務に関して最も困難なことは決断することでした。
私たちは地元の状況について考えなければなりません。なぜなら、西洋の、あるいは日本の目で状況を見ることは、私たちが誤った決断をするようにと導きかねないからです。
→私たちは現地の状況について考えなければなりません。なぜなら、西洋的あるいは日本的な視点で状況を考察すると、私たちは誤った決断をしかねないからです。
医療器具と同様に医薬品もまた、きわめて限定されていたので、私たちは(ある状況が)生じるたびにそれぞれの状況を眺め[=考察し]、なすべき最もよいこと[=最善の行為]を選び摂らねばなりませんでした。
3.2
ある婦人が自分の5歳の少年[=5歳の息子]を私たちの病院に連れてきた日のことを私ははっきりと憶えています。
彼は救助の範囲を超えているのだということが即座に私には見てとれました。
→彼が手遅れだということが私には即座にわかりました。
私たちは彼に酸素を与えましたが、しかし、彼は蒼ざめており、呼吸は困難で、しかも酸素マスクは彼を苦しませました。
→私たちは彼に酸素を与えましたが、しかし、彼は顔色が悪く、呼吸は苦しそうで、酸素マスクのせいで苦しそうでした。
彼は(病状が)回復してゆきませんでした。
私たちは最後の酸素ボンベを使っていました。
つぎの(酸素)ボンベがいつ届く予定であるのか、私たちにはわかりませんでした。
もしも酸素を必要とするほかの人[=患者]が到着したら、たぶん、このボンベは彼または彼女の生命を救うことができるでしょう。
私は決断を下し、そして私と一緒に勤務している看護師に酸素の栓を止めるように合図しました。
看護師はそうする[=酸素の栓を止める]ことがとてもできないのでした。
私は5秒間待って、自分で(酸素の)栓を止めました。
その子どもを神の手に委ねるのが最善であると考えたので、私はそうしたのです。
それは正しい決断だったのでしょうか?
今でも私にはわかりません。
4.1
マドゥーでの6か月はすぐに経ちましたが、しかし、それら[=その6か月]は私の人生と仕事に本当の意味を与えたので、それら[=その6か月]は私にとってたいへん重要でした。
4.2
MSF[=国境なき医師団]のようなNGO[=非政府組織]の仕事は世界の多くの問題を解決するのに役に立ちますが、しかし、ずっと多くのなすべきことがあります。
→MSFのようなNGOの仕事は世界の問題をたくさん解決するのに役に立ちますが、するべきことはまだまだたくさんあります。
ずっと多くの日本人がそういう仕事に進んで志願し、本当の世界を見に行き、援助を必要とする人々に対して同情心を抱き始める[=抱くようになる]ことが私の希望です。
そのようなボランティアは、自分たちが与えるのと同じくらい自分たちが得られるということに気づくでしょう。
私自身の場合、その経験は私の人生を方向づけてくれただけでなく、人間として生きることはどういうことであるのかについて考える機会を私にもたらしました。
4.3
私は再びMSF[=国境なき医師団]に参加し、MSFがもはや必要でなくなるまで彼ら[=国境なき医師団]とともに取り組み続けるつもりです。
世界中の数え切れない病気の人や傷ついた人が今でもいます。
国境を越えることには多大な勇気がいりますが、しかし、何が正しいのかということについてのあなた自身の考えに、私はみなさんにしたがってほしいと思います。
みなさんは自分自身が少数派であるということに気がつくかもしれませんが、しかし、自分自身を信頼し、自分の信念を行動に移す勇気を持ってください。
〔了〕
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