私が16歳だったとき
私たちはみな、日々刻々と(先の見えない)緊張感の中で暮らしている。言い換えると、私たちは自分自身の物語の主人公なのである。
―メアリー=マッカーシー―
0.1
私たちがありふれた日々の生活を送っているまさにその瞬間、別の次元の時間はゆっくりと着実に先へと流れている。
私たちが感じようと感じまいと、心のある片隅に存在するこの別の時間が違い全体を作り上げるのである[=きわめて大切なことである]。
0.2
星野道夫(1952-1996)は自然が専門の有名な写真家であった。
彼はアラスカで多くの年月を過ごした。
ここで[=今]、彼は北アメリカへの最初の旅行を振り返る。
1.1
16歳のときに私は初めてアメリカへ行った。
近頃では、多くの若者が外国に行く。状況は私が少年であったとき以来、ずいぶんと変わっている。
私にとって、アメリカは未知の遥かなる国であった。
しかしながら、船で太平洋を渡り、ヒッチハイクでアメリカを横断するという夢が私にはあった。
1.2
高校時代、私はお金を貯めるためにアルバイトを始めた。
父は私の計画に興味を抱き、私に旅行のための資金をくれた。
父にとってそれ[=旅行の資金を与えること]は難しい決断であった。
ひとつには、彼[=父]はサラリーマンであり、それ[=旅行の資金]は彼にとって莫大な額の金額であったからである。
もうひとつには、息子がそんな冒険に出かけるのを許さないようにと人々が彼によく言ったものであったからである。
同時の私たちにとって、外国はとても遠くにあった。いったい、安全に首尾よく自宅にたどりつくことをひとりの少年が望むことができたであろうか?
2.1
私は1968年の夏に横浜を出発した。
太平洋はとても青く、とても大きかった。
夜、星はとても近くに見えた。
人間の人生の短さと、人間の想像力の莫大さとの両方を私は感じた。
→人の人生は短いが、想像力は限りがないということを私は同時に感じた。
2週間後、水平線にロサンゼルスの町があるのを私は目にした。
リュックサックだけを持って、私はアメリカに到着した。
それ[=リュックサック]はわずかばかりのものでいっぱいであった。すなわち、テントと寝袋と小さい調理用コンロと地図であった。
2.2
港は町から遠く離れていた。
日が暮れていて、しかも、夜の間、泊まるところが私にはなかった。
私には予定がなかった。つまり、どちらの道を進むかを決めることは、サイコロを投げるようなものであった。
ロサンゼルスでは私はだれもしらない。
世界でだれもわたしがどこにいるのかさえ知らなかったが、しかし、私は全然恐怖を感じなかった。
自分の新しい自由に対する喜びのあまり声を上げたいと思っただけだった。
2.3
数日後、私はグランドキャニオンに到着した。
私は自然の広大さに驚いた。
生まれて初めて、荒野の中の小さいテントで眠った。
この経験は私にあるひとつの考えを与え、数年後、それ[=ある考え]は私をアラスカへと導いた。
→この経験のおかげで、私はひとつの着想を得、数年後、その着想によって、私はアラスカへと赴いた。
3.1
私はグレイハウンドバスで南部へと旅行した。
アトランタとナッシュビルとニューオリンズは私に深く感銘を与えた。
どのバスターミナルの周囲でもある特定のにおいがあった。すなわち、トイレや靴クリームやホットドックやハンバーガーのにおいである。
あのにおいを思い出すと、私はいつもアメリカへの郷愁に満たされる。
3.2
カナダでヒッチハイクをしていたとき、私はある家族に(車に)乗せてもらい、10日間もの長きにわたって彼らとともに旅行した。
私は自分がその家族の一員であると感じた。
数年後、(その家族の)母親が私に(次のように)言った。「私たちが道路であなたを最初に見かけたときは、すぐ横を通りすぎたわね。
でも、子どもたちが引き返して、あなたを乗せてやれって私たちに言ったのよ」
3.3
多くの人々の手助けのおかげで、2か月後にサンフランシスコに到着したとき、私は無事に旅行を終えた。
私は自分自身にコーラと超特大のハンバーガーをおごった。
以前よりもまして私は自分に自信を持っていた。
4.1
あなたがひとりで旅行をするとき、あなたはスリルに満ちた経験とすべての種類の人々と出会う機会がある。
それぞれの日の予定をまさにその日に決定することは、筋書きのない物語を生きることに似ている。
もしもあなたが乗る予定のバスに乗り損ない、別の(バス)に乗るならば、あなたの人生は異なる展開を示すであろう。
私はこの旅行から、人々との偶然の出会いは人生の重要な部分であるということを学んだ。
4.2
自宅に戻ったとき、日本の高校におけるひとりの学生としての相変わらずの生活に自分自身がいることに私は気づいた。
しかしながら、外国へ旅行したという経験は私に自由という感覚を与えた。
そのときには、日本での私の日々の生活を超えたところにひとつの世界が存在するということを私は知っていた。
こうした遠くの国々には現実に存在する人々がおり、彼ら[=遠くの国々に存在する人々]は、ちょうど私の生活のような普通の生活を送っていた。
新しい視点から祖国を眺めることを私は学んだ。
4.3
今日、アラスカの荒野のあちこちをひとりで歩くとき、外国への最初の旅行を私はしばしば思い出す。
〔了〕
1 件のコメント:
㌧
乙です
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