CROWN I Lesson 8
Good Ol' Charlie Brown
(古きよきチャーリー=ブラウン)
→ちょっといいやつ、チャーリー=ブラウン
*good ol' = good old
good oldについてはまず『英辞郎』という辞書から。
(1)古きよき;懐かしい;結構な(2)(人が)気さくな
手許の辞書(『ランダムハウス大英和辞典』、『ジーニアス英和辞典』、COUBUILD、『最新ビジネス・技術実用英語辞典英和・和英』)にはgood oldの項目はなかった。そこで、good oldを含むフレーズなどを探すと、つぎのものが見つかった。
good old boy: (1)典型的な南部人;(南部人のような)お人よし;好人物;気さくな人(2)互助的グループに属する人(友愛会fraternityなど)(3)(プレップスクールで)理想的なタイプの生徒;模範生
the good old days: When people refer to the good old days, they are referring to a time in the past when they think that life was better than it is now.
good old Jim: ジムのやつ
good old boy: 気さくなやつ;気さくな南部人
good old boys network: ある分野で勢力を張る男性グループ
good old days: 懐かしい昔;古き良き時代
good old home cooking: 手料理
good old memory: 昔の懐かしい思い出
good old row: すごい騒動
good old scout: 好漢
good old ways: 懐かしい昔の慣わし;懐かしい昔の風習
good old wife: 古女房
以上の例のうち、人間につけた場合は「好漢」の「好」や「気さくな」のように、人間の性質についてポジティヴな評価である。good old boyの場合、文字通りの意味は、「昔からいる(あるいは昔はよくいた)善い性質を備えた少年」といったところであろう。これが、状況に応じて「気さくな やつ」になったり、「理想的なタイプの生徒」になったりするわけである。ところが「気さくなチャーリー=ブラウン」や「好漢チャーリー=ブラウン」では、 チャーリー=ブラウンの性質を表しているとはいえない。ましてや「理想的な生徒、チャーリー=ブラウン」は、だめである。となると、チャーリー=ブラウン が一体、どのような人物であるかを検討して、考える。「愛しいチャーリー=ブラウン」「愛すべきチャーリー=ブラウン」なども検討してみたが、個人的には しっくりこない。彼は心根はやさしいが、社交性に欠ける部分がちょっぴりあるようである。そんなことから、「ちょっといいやつ、チャーリー=ブラウン」に してみた。考えた割には大したことないな。
私たちには素晴らしいことは何もできません。――ちっぽけなことを大いなる愛で行なうことができるだけです。
―マザー=テレサ―
*どうでもよいことだが、このサイトでは原則として「おこなう」は「行なう」と表記する。学校では「行う」と習うが、大学教授などは「行なう」と表記するのが多数派だからである。
0.
『ピーナッツ』とチャールズM.シュルツについての、賞を受けたこのレポートはミシェルとコウジという札幌の高校生によって書かれた。
それ[=そのレポート]は学校新聞に掲載された。
1.1
チャーリー=ブラウン。ルーシー。ライナス。スヌーピー。
彼らは半世紀以上にわたって雑誌や新聞に掲載されています。
彼らには世界のあちこちに数億ともいえるくらいに非常に多くのファンがいます。
すぐ隣の人の子どもの名前さえ知らない人でさえ、自分は勝つことができると信じることを決してやめないあのかわいい「負け犬」と、いつでも人にアドバイス するかわいい女の子と、肌身離さず古い毛布をいつもたずさえている小さな男の子と、なかでも最もよく知られているのは、自分が戦闘機乗りあるいは偉大な作 家であると思っているビーグル犬は知っています。
彼らは漫画『ピーナッツ』における主な登場人物です。
1.2
なぜ、この漫画はとても人気があるのでしょうか?
なぜ、『ピーナッツ』は世界中の人々の心を把(とら)えたのでしょうか?
1.3
『ピーナッツ』の漫画をいくつか見て、こうした問いに対する答えを(私たちが)見出せるかどうかを確かめましょう。
2.1
父の日のことです。バイオレットは自分の父親について話しています。
彼女はチャーリー=ブラウンに、自分の父親はチャーリー=ブラウンの父ちゃんよりも金持ちであり、おまけにスポーツも得意であるということを話します。
チャーリー=ブラウンには言うべきことがほとんどありません。
彼はただ、バイオレットに、自分と一緒に父親の床屋に来るように頼みます。
自分の父親はどんなに忙しくても、父親は自分のことが好きなので、自分ににっこりとほほえみかけるための時間をとってくれるということを、彼は彼女に言います。
バイオレットには、それ以上、なにも言うことはありません。
彼女はただ立ち去るだけです。
彼女の父親のお金も運動能力も、息子に対する父の飾り気のない愛情には張り合えないのです。
2.2
多くの『ピーナッツ』の1つ1つの話は、家族の生活に関するそうした心温まる側面に焦点を合わせます。
*to focus on ...: …に焦点を合わせる;…に焦点を当てる
aspect(s): 側面;様相
チャールズM.シュルツは『ピーナッツ』を生み出した漫画家で、自分の子ども時代の人々のできごとを自分の漫画に取り入れました。
そして、これこそが、漫画『ピーナッツ』が世界中の人々の間でたいへん人気がある理由の一部であるかもしれません。
3.1
この漫画では、ライナスは、地元のチームがフットボールの試合で勝ったので興奮しています。
チャーリー=ブラウンは黙って耳を傾け、それからライナスにひとつの簡単な質問をします。「相手のチームはどう感じたんだい?」
3.2
チャーリー=ブラウンは自分自身、失敗を経験しているので、失敗するほかの人々の気持ちが彼にはわかるのです。
彼は私たちにほかの人々のことを考えさせます。
3.3
多くの点で、チャーリー=ブラウン自身が負け犬です。
彼はあまり立派な生徒ではありませんし、彼はスポーツが得意でもありません。
彼のクラスのかわいい小さな女の子は彼にはまったく注意を払うことはありません。
富と権力がたいへん重要である世界では、チャーリー=ブラウンは負け犬です。
3.4
けれども、チャーリー=ブラウンは本当には負けていません。
彼は自分自身に対して残念に思うことは決してありません。
彼は明日はもっとよい日であることをいつも期待し、努力をし続けています。
たぶん、それこそが、本当の勝者を作り上げるものなのでしょう。
4.1
漫画『ピーナッツ』は、普通の意味でおもしろいものではありません。
→『ピーナッツ』は、普通の意味でおもしろいものではありません。
*The Peanuts cartoonsのcartoonsは訳出しなくても、日本語として変にはならない。教師によっては訳しておいたほうがよいかも。
私たちは、突然、笑い始めるよりも、にっこりとほほえみがちです。
しかし、どういうわけか、それら[=『ピーナッツ』]は私たちの気分をよくしてくれます。
私たちは、新聞で、明日もまた再び、チャーリー=ブラウンとライナスとスヌーピーと『ピーナッツ』のほかの登場人物全員に会いたいと思っています。
もしも彼らがそこ[=新聞]にいなければ、いなくなってしまった友人がいないのをさみしく思うように、彼らがいないのをさみしく思うでしょう。
それは、私たちの友人がいつでも私たちを笑わせるからではなく、友人が私たち自身に関して私たちの気分をいつもよくしてくれるからです。
4.2
チャールズM.シュルツは、人生における本当の成功はお金や名声や権力の問題ではないということを伝えたいようです。
もっと正確に言えば、それ[=人生における本当の成功]は、希望と勇気と他人に対する敬意と、とりわけ、ユーモア感覚によって規定されるのです。
彼[=チャールズM.シュルツ]はかつてこう言いました。「もしも、つぎの世代に贈り物を贈る機会が私に与えられたならば、それ[=贈り物]はひとりひとりの個人が自分自身をあざ笑うことを学ぶための能力であろう」
*to laugh at oneself: 自分自身を笑う;自己を突き放して眺める;自己を冷めた目で見る▼後ろの2つの訳も辞書に載っていることは載っている。「自分自身を笑う」という表現には 「自分自身を冷めた目で見る」などの解釈が含まれているということは踏まえておいてよいだろう。
5.1
ほぼ50年の間、チャールズM.シュルツは来る日も来る日も1回に1話ずつ『ピーナッツ』を描きました。
けれども、1999年の終わりごろ、自分が癌にかかっており、もはやこれ以上続けることはできないということをチャールズM.シュルツは知りました。
読者に別れを告げるために、彼はお別れの漫画を描き、それ[=お別れの漫画]はだいたい6週間後に(新聞に)掲載される予定でした。
もしも彼[=チャールズM.シュルツ]が1日でも長く生きていたら、彼は印刷されたそれ[=お別れの漫画]を目にしていたところでしょう。
悲しいことに、彼は漫画が新聞に載る前の日に亡くなりました。
5.2
2000年2月13日に、世界中の『ピーナッツ』愛好者たちは、目を醒ますと、『ピーナッツ』の登場人物たちとその作者の両方がどちらももはや存在しないということを知りました。
私たちは彼らのことを自分の友人であると見なすようになっていましたが、しかし、彼らは今ではいなくなってしまったのです。
チャールズM.シュルツと『ピーナッツ』は、がんばって続けるための、特別な種類のユーモアと心優しい励ましで、私たちがこの困難な世界に立ち向かうのに役に立ちました。
5.3
新たな『ピーナッツ』の漫画はまったくないのですが、古いものは来(きた)るべき年月の間、読まれるでしょう。
→新しい『ピーナッツ』の漫画はまったくありませんが、古いものは今後、何年にもわたって読まれるでしょう。
*for years to come: やって来る年月の間
→来(きた)るべき年月の間
→今後、何年にもわたって;これから何年間も
本当の成功は、他人に対する思いやりと、優しさによるちょっとした行為と、たいへんな困難に直面しているときにさえも希望を持つ勇気との中に存しているということを、それら[=『ピーナッツ』の古い漫画]は私たちに思い出させ続けるでしょう。
→本当の成功は、他人に対する思いやりと、優しさによるちょっとした行為と、たいへんな困難に直面しているときにさえも希望を持つ勇気の中に存しているということを、『ピーナッツ』を読めば、いつも私たちは思い出すでしょう。
〔了〕
追記:以下の情報源はだいたいWikipediaです。
Charles M. Schulzさんのすごいところ(あるいは笑えるところ)は、「人間の価値は稼ぐお金では決まらない」「たくさんお金を持っていても、たいした意味はない」というメッセージを発信しつづけていたら、生涯所得が11億ドルを超えてしまったところだ。1ドル=108円で計算すると、約1200億円になる。
これだけでも笑えるのに、没後7年くらいで入った著作権収入が、3200万ドル(約35億円)になってしまった。
また、「地位や名声がその人の価値を高めるわけではない」というメッセージを発信しつづけたら、じつにたくさんの賞を受けてしまった。漫画やアニメに関するものはしかたがないとしても、没後にthe Congressional Gold Medal(議会名誉黄金勲章)までもらっている。
Schulzさんは、お金があまってしょうがなかったんだろう。あちこちに私財を投げ打っている。それで、Boy Scouts of America(全米ボーイ=スカウト連盟?)からは成人が受ける最高の賞であるSilver Buffalo Awardを与えられている。それから、the United States Hockey Hall of Fame(全米アイス=ホッケーの殿堂?)に殿堂入りしている。さらには、2007年になって、the United States Figure Skating Hall of Fame(全米フィギュア=スケートの殿堂?)にも殿堂入りしている。
だいたい、Schulzさんは、べつにお金がほしいわけじゃなかったし、それに、自分が生み出したキャラクターができるだけ多くの人に愛されるようにと、キャラクター使用料を低くしているら しい。コンビニエンス=ストアの景品になるくらいだから、よっぽど安いのだろう。ディック=ブルーナDick Brunaさんのナインチェ=プラウスNijntje Pluis(日本名:うさこちゃん、またはミッフィー:英語名:Miffy)も同様にキャラクター使用料が安いらしい。
それはともかく、キャラクター使用料を安くしているので、キャラクター商品を製作・販売する側からすると、商品化しやすい。採算ラインが低くなるからだ。その結果、あちこちでPeanuts関係のグッズを見かけることになり、われわれはますます親しみをおぼえ、つい、商品を買ってしまう。
というわけで、Charles M. Schulzさんは、キャラクター使用料を低くしすぎたせいで、ほしくもないお金と名声が入りまくってしまったかわいそうな人でした。(笑)
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