掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

3.05.2008

Not So Long Ago

CROWN I Lesson 7
Not So Long Ago
さほど昔のことではないが
人間の運命に関わるいかなる問題も人類というものを超えてはいない。
―ジョンF.ケネディ―

0.
ケンとスンミは20世紀に関する写真の展覧会にいます。

玄関ホールでふたりは手短な紹介に耳を傾けます。

1.1
紳士・淑女のみなさん、私たちの写真展「20世紀を振り返って」にようこそ(いらっしゃいました)。

私たちはおよそ300枚の写真をこちらに集めました。

それら[=それらの写真]は前世紀の歴史の重要なものをみなさんにお見せするでしょう。

1.2
20世紀は科学と情報工学における偉大なる発展の時代でした。
→20世紀は科学と情報工学が大いに発展した時代でした。

人々の生活はいっそう豊かになり、快適になりました。

人々はいっそうの自由と平等とを成し遂げ、しあわせな人生を送るという夢に近づいているようでした。

1.3
しかし、それ[=20世紀]は怖ろしい戦争の時代でもあり、何百万人もの人々が生命(いのち)を落としました。
こちらにある写真は、みなさんや私のような人々が20世紀にどんなことを潜り抜けたのかをみなさんにお見せするでしょう。
→こちらの写真は、みなさんや私のような人間が20世紀にどんなことを経験したのかをみなさんにご覧にいれます。
or→こちらの写真は、みなさんや私のような人間が20世紀に経験したことをみなさんにご覧にいれます。

それらをみなさんが目にするとき、自分自身に訊ねてください、「もしもこれらが自分自身の家族や友人の写真であったならば、自分はどのように感じるか?」と。
→これらの写真を目にする場合、自らに訊ねてください[=自問してください]、「もしもこれらの写真に写っているのが、自分の家族や友人なら、自分はどう感じるのであろうか?」と。

何枚か(の写真)はみなさんに衝撃を与え、何枚か(の写真)はみなさんを悲しませたり、あるいは怒らせたりするかもしれません。
→みなさんに衝撃を与える写真もあれば、悲しませたり、怒りを覚えさせたりする写真もあるかもしれません。

しかし、それら(の写真)はまた、私たちの未来のためのメッセージをみなさんに伝えるでしょう。

みなさんが写真展をごらんになる前に、私たちにとってとりわけ重要である2枚の写真をみなさんにお見せしたいと私は思います。

2.1
焼き場に立つ少年(写真の下の説明文)

この写真から始めましょう。

この写真は、1945年、長崎で報道写真家ジョー=オダネルによって撮影されました。

彼は最近、この写真について日本人のインタヴューアーに話しました。

2.2
「私は10歳くらいの少年がそばを歩いているのを目にしました。

彼は背中に赤ん坊をおんぶしていました。

当時の日本では、幼い弟や妹をおんぶしたまま遊んでいる子どもたちを私はよく目にしましたが、しかし、この少年は明らかにちがっていました。

彼が深刻な理由でこの場所に来たのだということを私は見て取ることができました。
→彼が深刻な理由でこの場所に来たのだということが私にはわかりました。
→彼が深刻な理由でこの場所に来たのがわかりました。

彼は靴を履いていませんでした。

彼の顔つきはこわばっていました。
*この文でのhardに意味がはっきりしない場合は、写真を見て、適当な語を考えるという方法もある。

赤ん坊の頭は、まるでぐっすり眠っているかのように、後ろに傾いていました。

2.3
「少年は5分あるいは10分の間、そこに立っていました。

白いマスクをした男たちが彼のところに歩いていき、赤ん坊を縛りつけている紐を静かにほどき始めました。
→白いマスクの男たちが彼のもとに歩み寄り、赤ん坊をくくりつけている紐を静かにほどき始めました。
→白いマスクの男たちが彼のもとに歩み寄り、赤ん坊をおんぶしている紐を静かにほどき始めました。
→白いマスクの男たちが彼のもとに歩み寄り、おぶい紐を静かにほどき始めた。
*was holdingの適訳がわからなかったので、ウェブで「おぶい紐」「負ぶい紐」などで検索して、さまざまな用例を調べた結果、「おぶい紐でおんぶする」な どの表現しかなく、「くくる;縛る;結わう」などは、使わないことが判明。また、the rope that was holding the babyは「おぶい紐」を知らない外国人のために説明的に描写しているものであるから、上記の訳例では、「赤ん坊を縛りつけている紐」「赤ん坊をくくりつ けている紐」が直訳で、「赤ん坊をおんぶしている紐」がやや意訳。翻訳するというレベルになると、「おぶい紐」だけでよいと思われる。ただし、授業で、4 番目の訳を答えると、「おいおい、that was holding the babyはどうした!?」と言われる可能性がなくもない。

そのときこそ、赤ん坊はすでに死んでいるということを私が知ったときでした。

男たちは遺体の手と足とをつかみ、火の中に置きました。
*the body: 遺体;死体

2.4
「少年は炎を見つめながら、動くことなく、まっすぐにそこに立っていました。
→「少年は炎を見つめながら、微動だにせず直立してそこに立っていました。

彼はとても強く下唇を噛んでいたので、それ[=下唇」は血で光っていました。

炎は沈みつつある太陽のように勢いを弱めました。

少年はぐるりと向きを変え、静かに歩いて離れていきました」
→少年は回れ右をして、静かに歩いて離れていきました。

3.1
標的を外した南ベトナム軍のナパーム弾によって焼かれた子どもたち(写真の下の説明文)

写真の横に立っているキム=フク(写真の下の説明文)
*子どものときと較べて、ふくよかになっているなとだれもが思うようだ。

もう1枚の写真を見ましょう。

みなさんのなかにはこの写真を以前に見たことがある人がきっといるでしょう。

それ[=この写真]は1972年、ベトナム戦争のときに撮影されました。

ここ[=この写真]では、幼い少女であるキム=フクさんは、服が燃えて脱げた状態で、痛みを感じながら、道路をこちらに向かって走っています。

つぎのものは、彼女がかつてその経験について述べたものです。
→つぎの文章は、彼女がかつてその経験について述べたものです。

3.2
「私には何も聞こえなかったのですが、しかし、私には自分の周囲に炎があるのが見えました。

すると、突然、私の服が火のせいでなくなってしまったのでした。

それから炎が私の身体を、とりわけ腕を覆っているのが私には見えました。

でも、私の足は燃えていなかったのでした。

私は叫んでいました。それから、私は炎のなかから外へと走っていました。

私は走って、走って、走り続けました。

3.3
「私は病院にいました。

14か月も。

身体半分を覆う火傷を治療するために、私は17回手術を受けました。

それで、そのことが私の人生を変えました。

それは、どうすれば人の役に立てるのかしらということについて私に考えさせました。
→そのせいで、どうすれば人の役に立てるのかしらということについて私は考えました。

3.4
「両親が初めて、新聞から(切り取った)写真を私に見せたとき、私はそれが私だということが信じられませんでした。それがあまりにも怖ろしかったのですから。

私はみんなにあの写真を見てもらいたいと思っています。なぜなら、あの写真から戦争とは何であるかということを人間は見て取ることができるのですから。
→私はみんなにあの写真を見てもらいたいと思っています。なぜなら、あの写真を見れば、戦争とはどんなものか(ということ)を、理解できるからです。

それ[=戦争]は子どもたちにとって怖ろしいものです。

あなたがたは私の顔にあるすべてのものを見て取ることができます。
→みなさんは(写真に写っている)私の表情からなにもかもが見て取ることができます。

私は人々にそれ[=写真に写った私の表情]から学んで欲しいのです」

4.1
楽園を通って歩く(写真の下の説明文)

だから、写真というものは私たちに多くのことを教えてくれます。

それら[=写真]は、過去に何が起こったのかを私たちに見せてくれます。
→写真は、過去に何が起こったのかを私たちに教えてくれます。
→写真は、過去に起こったことを私たちに教えてくれます。

それら[=写真]は、ときには、私たちが見たいとは望まないものを私たちに見せてくれます。

4.2
20世紀は戦争の世紀でした。

2つの世界大戦と冷戦と世界中での小規模の戦争がありました。

ある日本人ジャーナリストは20世紀のことを「3万6千日におよぶ苦難の日々」と名づけさえしました。

ここのある写真に希望のしるしを見出すことはおそらく難しいでしょうが、しかし、そうしようと努力するならば、私たちにはできるのです。


4.3
キム=フクさんのお話は、よい例です。
→キム=フクさんのお話は、わかりやすい実例です。
*ナパーム弾に焼かれた話を「よい」などとしていけない。

じつに多くの人々からの温かい支援によって、彼女は今ではカナダで家族との生活を楽しんでいます。

彼女は言っています。「母の身に何が起こったのか、母の祖国で何が起こったのかということ、それに、2度と戦争を起こしてはならないということを、私は息子に教えなければなりません」

4.4
2度と戦争を起こしてはならない。

これこそが、この写真展の写真がみなさんに伝えて欲しいと私たちが思っているメッセージです。

これがみな、起こったのは、さほど昔のことではないという考えをみなさんに託したいを思います。

4.5
ありがとうございました。

〔了〕


ナパーム弾の誤投下と、その直後のキム=フクさんらの様子が映し出されています。ちょっとグロテスクなところがあるので注意。

-『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』 
写真:ジョー・オダネル、聞き書き:ジェニファー・オルドリッチ、翻訳:平岡豊子

pp.96-97
少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。

 長崎ではまだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に私はたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。
  焼き場となっていた川岸には、浅い穴が掘られ、水がひたひたと寄せており、灰や木片や石灰がちらばっている。燃え残りの木片は風を受けると赤々と輝き、あ たりにはまだぬくもりがただよう。白い大きなマスクをつけた係員は荷車から手と足をつかんで遺体を下ろすと、そのまま勢いをつけて火の中に投げ入れた。は げしく炎を上げて燃えつきる。それでお終いだ。燃え上がる遺体の発する強烈な熱に私はたじろいで後ずさりした。荷車を引いてきた人は台の上の体を投げ終え ると帰っていった。だれも灰を持ち去ろうとするものはいない。残るのは、悲惨な死の生み出した一瞬の熱と耐え難い臭気だけだった。

 焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
  少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂 の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背 筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。1度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も 顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
 私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守っ た。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう1度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張 り、まっすぐ前を見て歩み去った。1度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にも どってズボンを脱ぐと、まるで妖気が立ち昇るように、死臭があたりにただよった。今日1日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どう して生きていくのだろうか?

CREMATION SITE, NAGASAKI
焼き場にて、長崎
I had never never before witnessed the obvious military influence on the young until I watched this boy bring his dead brother to a cremation site.
この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子どもにまで及んでいることを知った。
直訳:この少年が死んでしまった弟を焼き場につれてくるまで、幼い子どもたちに対する明白な軍隊の影響を目撃することはこれまでになかった。
Every kid I knew in America would not have been able to cope like this young boy did.
アメリカの少年はとてもこんなことはできないであろう。
直訳:私がアメリカで知っている子どもはだれも、この少年がしたように対処することはできなかったであろう。
He stood rigid, no emotion seen except for the terrible unshed tears.
直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。
直訳:悲惨な流されざる涙を除けば、何の感情も見られることなく、彼は硬直した状態で立っていた。
I wanted to go to him, to comfort him―but I was afraid.
そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。
直訳:私は彼のところに行きたいと思った。彼をなぐさめるために――しかし、私は恐れていた。
If I did his strength would have crumpled, leaving him defenseless in agony and grief.
もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。
直訳:もしも私がそうしていたならば、彼の力強さはくしゃくしゃになって、彼を、苦悩と悲しみの中で無防備な状態のままにしてしまったであろう。
I did nothing.

私はなす術もなく、立ちつくしていた。
直訳:私は何もしなかった。
→私には何もできなかった。
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『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』は
衝撃的な写真がいっぱいだけど、軍港のある佐世保湾(pp.12-13)が、コンクリートなどで固めているわけでもなく、海岸線近くまで棚田が迫っていて、こんな程度の軍港で戦争をしていたのかとびっくりしました。

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自分の写真

和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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