CROWN I Lesson 3
Abu Simbel ― Rebirth on the Nile ―
アブ=シンベル神殿 ―ナイル河のほとりでの再生―
*onは「[近接をあらわして]…に接して;…に面して;点に沿って;…に」の意味。
困難は経験をもたらし、経験は叡智をもたらす。
―ことわざ(16世紀)―
1972年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約を採択した。
金閣寺が京都の自宅の近くにあるので、エミは世界遺産(地域)について知っています。
*World Heritage sites: 文字どおりには「世界遺産地域」だが、ウェブなどで調べてみたところ、おそらく原文はWorld Heritage sitesとなっていそうなところでも「世界遺産」と訳すのが主流であった。なかには律儀に「世界遺産地域」としているところもあったけれど。
彼女は、ほかの世界遺産(地域)について、(ある程度)調査をおこなうことに決めました。
*some: 無理矢理に訳出すると「ある程度」になる。たいていは、訳さない。
彼女は以下の情報をインターネットで見つけ出しました。
*this ...: つぎの…;以下の…
1.1
ナイル河は世界最長の河川である。
それは長さおよそ6,695キロメートルで、9か国を貫流し、地中海へと流れ出る。
何千年にもわたって、ナイル河は農耕や輸送のためにそれ[=ナイル河]を必要とするエジプト人にとって重要であり続けている。
ナイル河に沿って、エジプトで最も有名な遺跡群がある;すなわち、ピラミッドであり、スフィンクスであり、アブ=シンベルという偉大な神殿である。
*Along the Nile are the most famoous monuments of Egypt: 倒置構文。Along ...と前置詞から始まるフレーズは一般には主語になることはない。主語部分はthe famous monuments of Egyptである。
monumentsを複数形であるということから「遺跡群」としたが、同様の理由でtemplesも「神殿群」としようと考えたが、アブ=シンベルには大神殿と小神殿のふたつしかないので、やめた。「神殿」だけでよいだろう。
the great temples of Abu Simbelのofは「同格のof」で、直訳的には「アブ=シンベルという偉大な神殿」となる。「偉大なるアブ=シンベル神殿」としてもよいだろう。アブ =シンベルのややこしいところは、神殿の名称でもありながら、同時に地名でもある。一般に、Abu Simbelといえば、神殿の名称である。似たような例として「鎌倉大仏」(阿弥陀如来坐像)が挙げられるのではないだろうか。地名が固有名[=固有名 詞]の一部になっている。
1.2
アブ=シンベル神殿はエジプト王ラムセス2世によって紀元前1250年に建立された。
大神殿は崖の中へとおよそ60メートルにわたって構築されている。
*アブ=シンベル神殿は、砂岩でできた岩山を掘り進める形で造られた岩窟神殿。崖というか、絶壁というか、そこに玄関を造って、奥へと60メートル掘り進んでできている。
正面には、王の4体の彫像がある。それぞれ、20メートルの高さである。
→正面には、ラムセス2世像が4体ある。それぞれ、20メートルの高さである。
*statue(s): 辞書に掲載されている訳語は「彫像;像;塑像」などである。日本語では、彫像、像などの語を単独で使うことは少なく、「…像」という名称で使うことが多 い。「王の4体の彫像がある」を「ラムセス2世像が4体ある」としたほうが普通の日本語らしくなる。
(彫像の)王は、ナイル河と自らの広大な王国とをはるかに見渡している。
→ラムセス2世像は、ナイル河と自らの広大な王国とをはるかに見渡している。
王の彫像の隣には、女王と息子たちと娘たちの小さな彫像がある。
→ラムセス2世像の隣には、女王と息子たちと娘たちの小さな彫像がある。
神殿は東を向いている。 or 神殿は東に面している。
*The templeと、theがついていて、複数形の-sがついていないので、大神殿と小神殿の2つあるうちの大神殿のこと。
毎年2回、朝の太陽(の光)が、はるばる神殿の奥にある祭壇至聖所に届く。
*毎年10月20日と2月20日だそうだ。この日付は現在のもので、神殿が建立された当初は、10月22日と2月22日であるにちがいないとされている。2月22日はラムセス2世が生まれた日で、10月22日はラムセス2世が王に即位した日であるとされる。
reaches to ... のreachesとtoの間に、all the way(はるばる)を挟み込むことで、初学者にとって読みにくくなっている。難しい英語だとto penetrateを使ってもよいところであろう。
Abu Simbel ― Rebirth on the Nile ―
アブ=シンベル神殿 ―ナイル河のほとりでの再生―
*onは「[近接をあらわして]…に接して;…に面して;点に沿って;…に」の意味。
困難は経験をもたらし、経験は叡智をもたらす。
―ことわざ(16世紀)―
1972年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約を採択した。
金閣寺が京都の自宅の近くにあるので、エミは世界遺産(地域)について知っています。
*World Heritage sites: 文字どおりには「世界遺産地域」だが、ウェブなどで調べてみたところ、おそらく原文はWorld Heritage sitesとなっていそうなところでも「世界遺産」と訳すのが主流であった。なかには律儀に「世界遺産地域」としているところもあったけれど。
彼女は、ほかの世界遺産(地域)について、(ある程度)調査をおこなうことに決めました。
*some: 無理矢理に訳出すると「ある程度」になる。たいていは、訳さない。
彼女は以下の情報をインターネットで見つけ出しました。
*this ...: つぎの…;以下の…
1.1
ナイル河は世界最長の河川である。
それは長さおよそ6,695キロメートルで、9か国を貫流し、地中海へと流れ出る。
何千年にもわたって、ナイル河は農耕や輸送のためにそれ[=ナイル河]を必要とするエジプト人にとって重要であり続けている。
ナイル河に沿って、エジプトで最も有名な遺跡群がある;すなわち、ピラミッドであり、スフィンクスであり、アブ=シンベルという偉大な神殿である。
*Along the Nile are the most famoous monuments of Egypt: 倒置構文。Along ...と前置詞から始まるフレーズは一般には主語になることはない。主語部分はthe famous monuments of Egyptである。
monumentsを複数形であるということから「遺跡群」としたが、同様の理由でtemplesも「神殿群」としようと考えたが、アブ=シンベルには大神殿と小神殿のふたつしかないので、やめた。「神殿」だけでよいだろう。
the great temples of Abu Simbelのofは「同格のof」で、直訳的には「アブ=シンベルという偉大な神殿」となる。「偉大なるアブ=シンベル神殿」としてもよいだろう。アブ =シンベルのややこしいところは、神殿の名称でもありながら、同時に地名でもある。一般に、Abu Simbelといえば、神殿の名称である。似たような例として「鎌倉大仏」(阿弥陀如来坐像)が挙げられるのではないだろうか。地名が固有名[=固有名 詞]の一部になっている。
1.2
アブ=シンベル神殿はエジプト王ラムセス2世によって紀元前1250年に建立された。
大神殿は崖の中へとおよそ60メートルにわたって構築されている。
*アブ=シンベル神殿は、砂岩でできた岩山を掘り進める形で造られた岩窟神殿。崖というか、絶壁というか、そこに玄関を造って、奥へと60メートル掘り進んでできている。
正面には、王の4体の彫像がある。それぞれ、20メートルの高さである。
→正面には、ラムセス2世像が4体ある。それぞれ、20メートルの高さである。
*statue(s): 辞書に掲載されている訳語は「彫像;像;塑像」などである。日本語では、彫像、像などの語を単独で使うことは少なく、「…像」という名称で使うことが多 い。「王の4体の彫像がある」を「ラムセス2世像が4体ある」としたほうが普通の日本語らしくなる。
(彫像の)王は、ナイル河と自らの広大な王国とをはるかに見渡している。
→ラムセス2世像は、ナイル河と自らの広大な王国とをはるかに見渡している。
王の彫像の隣には、女王と息子たちと娘たちの小さな彫像がある。
→ラムセス2世像の隣には、女王と息子たちと娘たちの小さな彫像がある。
神殿は東を向いている。 or 神殿は東に面している。
*The templeと、theがついていて、複数形の-sがついていないので、大神殿と小神殿の2つあるうちの大神殿のこと。
毎年2回、朝の太陽(の光)が、はるばる神殿の奥にある祭壇至聖所に届く。
*毎年10月20日と2月20日だそうだ。この日付は現在のもので、神殿が建立された当初は、10月22日と2月22日であるにちがいないとされている。2月22日はラムセス2世が生まれた日で、10月22日はラムセス2世が王に即位した日であるとされる。
reaches to ... のreachesとtoの間に、all the way(はるばる)を挟み込むことで、初学者にとって読みにくくなっている。難しい英語だとto penetrateを使ってもよいところであろう。
追記:the sanctuaryの適訳がわからなかったので、とりあえず、「祭壇」としたが、4つの坐像があるだけで、そのようなものはない。つぎのウェブサイトに、いちばん奥の部屋のことを「至聖所」と書いてあったので、そちらに変更した。
もっとも、「至聖所」の英訳はthe most sacred siteあるいはthe holy of holiesらしい。
それ[=差し込んでくる朝の陽光]は、太陽神と王自身の彫像を照らし出す。
lights upのところにはto illuminateを使うとかっこいいと思う。
2.1
20世紀半ばに、エジプト政府は新しいダムを建築することを検討した。
彼ら[=エジプト政府]がしたいと考えたことは、洪水を制御し、電力と灌漑用水とを供給することであった。
しかしながら、問題があった。
水位が上昇し、数百キロメートルにわたって谷間を水没させるということと、そこに住む住民たちが立ち退かなければならないということが、彼ら[=エジプト政府]にはわかっていた。
+to flood: 水浸しにする
to move: 自動詞「移動する;引っ越す」:他動詞「…を移動させる;…を引越しさせる」
many farmers living there would have to be moved: to be movedのmovedは他動詞のto moveの過去分詞形。ここの部分をむりやりに直訳すると、「そこに住む多くの農民たちは、移動させられなければならない」となり、なにがなんだかわかり にくい。このような受動態を含む場合には、能動態に書き換えて考えると、いくぶんわかりやすくなる。ここでは、主語をthey(エジプト政府)にして書き 換えると、つぎのようになる。
they would have to move many farmers living there
エジプト政府はそこに住む多くの農民たちを引っ越しさせなければならない(であろう)
またto moveを自動詞の意味「引っ越しする;移動する」で使って、つぎのようにしても似たような意味にならなくもない(多少の意味の差異はあるが)。
many farmers living there would have to move
そこに住む多くの農民は引っ越ししなければならなくなる(であろう)
もうひとつの問題は、上昇する水位がエジプトの偉大な遺跡のうちのいくつかに及ぶということであった。
これらのうちで最も重要なものは、アブ=シンベル神殿であった。
*the templesと複数を示す-sがついているので、大神殿と小神殿の両方を指す。
2.2
どちらがより重要なのであろうか、人間か、それとも遺跡か?
エジプト政府とユネスはその問題を解決しようとした。
彼ら[=エジプト政府とユネスコ]は、同時に、ダムを建築し、アブ=シンベル神殿を保存することができたのであろうか?
じっくりと考え、多くの会議を開いたあとで、新しいダムを建築する決められた。
ダムへの取り組み[=ダム工事]は1960年1月9日に始まった。
*手許の辞書で「名詞のwork+on」が見つからないときには、動詞のto workからto work on ...の意味を探すと「…に取り組む」という訳語が見つかるであろう。その訳語を「…への取り組み」というように名詞化してみる。すると、日本語の感覚の 鋭くない人でも「ダム工事;ダム建設」などの訳語が思いつきやすくなるであろう。言語感覚の鋭い人の場合は、こんなことをしなくてもthe work on the damの意味はつかめるであろうが、これから先、むずかしくなってもいろいろとつかえる方法であろう。
水位は上昇し始めた。
残された時間はわずかであった。
*leftはleaveの過去分詞で、timeを修飾している。
3.1
50か国以上もの国々が資金を援助したり、アブ=シンベル宮殿を保存するための計画を立案したりした。
ポーランドの科学者は、神殿を覆うドームを建築することを提案した。
あるアメリカ人は、水位が上昇したときに神殿も同様に上昇するように、神殿を支える平底船を建設する計画を考えた。
英国の科学者は、水族館のように、それら[=神殿]を目にすることができるように、神殿を水面下に残しておくことを提案した。
1963年11月、エジプト政府は決定をくだした。
3.2
彼ら[=エジプト政府]が最終的に決定した計画は、神殿を64メートル上方にある崖へと移動させることであった。
このことは、実行するのがきわめて困難であった。
神殿は16,000以上もの石塊に切断され、その後、それら[=16,000以上に切断された石塊]は現在の位置で全体が復元された。
*to put backは「元に戻す」で、togetherは「全体として」の意味。「全体として元に戻された」というのが直訳。
アブ=シンベル神殿への取り組み[=アブ=シンベル宮殿の工事]は4年半かかった。
それ[=工事]は、上昇する水位が神殿に届く直前、1968年の秋までにはすっかり終了した。
1979年、アブ=シンベル宮殿はユネスコの世界遺産(地域)に指定された。
4.1
最初、アブ=シンベル宮殿の問題を解決する方法を、だれも思いつくことができなかった。
彼ら[=エジプト政府]は国民の生活(水準)を向上させるためにひとつの遺跡を犠牲にすべきなのであろうか?
*the people: 国民;民族▼peopleにtheやaがついていると、「国民」などの意味であることが多い。
あるいは、彼ら[=エジプト政府]は、遺跡を保存するために国民の快適な暮らしを犠牲にすべきなのであろうか?
実際には、第3の方法があった。
*a third wayとっていて、the third wayとなっていないのは、優劣や序列とは関係なしに、たまたま3番目であるという意味。日本語訳は、a third wayでもthe third wayでも同じになってしまうけど。
人間による創意工夫と国際協力とが、第3の方法を見つけ出した。
4.2
アスワン=ハイ=ダムという新しいダムは、何百万人もの国民の生活を大いに向上させ、しかも、アブ=シンベルという偉大な神殿は今でもそこにあるのだ。
*the High Dam at Aswan(アスワンにあるハイ=ダム)は、ふつうAswan High Dam(アスワン=ハイ=ダム)と表記される。AswanはAbu Simbel同様、都市名である。
ラムセス2世は今でも、ナイル河のほとりにある王国を見守っている。
来(きた)るべき三千年の間に、彼[=ラムセス2世]は、どういった種類の人類の歴史を目にすると、あなたは考えますか?
〔了〕
lights upのところにはto illuminateを使うとかっこいいと思う。
2.1
20世紀半ばに、エジプト政府は新しいダムを建築することを検討した。
彼ら[=エジプト政府]がしたいと考えたことは、洪水を制御し、電力と灌漑用水とを供給することであった。
しかしながら、問題があった。
水位が上昇し、数百キロメートルにわたって谷間を水没させるということと、そこに住む住民たちが立ち退かなければならないということが、彼ら[=エジプト政府]にはわかっていた。
+to flood: 水浸しにする
to move: 自動詞「移動する;引っ越す」:他動詞「…を移動させる;…を引越しさせる」
many farmers living there would have to be moved: to be movedのmovedは他動詞のto moveの過去分詞形。ここの部分をむりやりに直訳すると、「そこに住む多くの農民たちは、移動させられなければならない」となり、なにがなんだかわかり にくい。このような受動態を含む場合には、能動態に書き換えて考えると、いくぶんわかりやすくなる。ここでは、主語をthey(エジプト政府)にして書き 換えると、つぎのようになる。
they would have to move many farmers living there
エジプト政府はそこに住む多くの農民たちを引っ越しさせなければならない(であろう)
またto moveを自動詞の意味「引っ越しする;移動する」で使って、つぎのようにしても似たような意味にならなくもない(多少の意味の差異はあるが)。
many farmers living there would have to move
そこに住む多くの農民は引っ越ししなければならなくなる(であろう)
もうひとつの問題は、上昇する水位がエジプトの偉大な遺跡のうちのいくつかに及ぶということであった。
これらのうちで最も重要なものは、アブ=シンベル神殿であった。
*the templesと複数を示す-sがついているので、大神殿と小神殿の両方を指す。
2.2
どちらがより重要なのであろうか、人間か、それとも遺跡か?
エジプト政府とユネスはその問題を解決しようとした。
彼ら[=エジプト政府とユネスコ]は、同時に、ダムを建築し、アブ=シンベル神殿を保存することができたのであろうか?
じっくりと考え、多くの会議を開いたあとで、新しいダムを建築する決められた。
ダムへの取り組み[=ダム工事]は1960年1月9日に始まった。
*手許の辞書で「名詞のwork+on」が見つからないときには、動詞のto workからto work on ...の意味を探すと「…に取り組む」という訳語が見つかるであろう。その訳語を「…への取り組み」というように名詞化してみる。すると、日本語の感覚の 鋭くない人でも「ダム工事;ダム建設」などの訳語が思いつきやすくなるであろう。言語感覚の鋭い人の場合は、こんなことをしなくてもthe work on the damの意味はつかめるであろうが、これから先、むずかしくなってもいろいろとつかえる方法であろう。
水位は上昇し始めた。
残された時間はわずかであった。
*leftはleaveの過去分詞で、timeを修飾している。
3.1
50か国以上もの国々が資金を援助したり、アブ=シンベル宮殿を保存するための計画を立案したりした。
ポーランドの科学者は、神殿を覆うドームを建築することを提案した。
あるアメリカ人は、水位が上昇したときに神殿も同様に上昇するように、神殿を支える平底船を建設する計画を考えた。
英国の科学者は、水族館のように、それら[=神殿]を目にすることができるように、神殿を水面下に残しておくことを提案した。
1963年11月、エジプト政府は決定をくだした。
3.2
彼ら[=エジプト政府]が最終的に決定した計画は、神殿を64メートル上方にある崖へと移動させることであった。
このことは、実行するのがきわめて困難であった。
神殿は16,000以上もの石塊に切断され、その後、それら[=16,000以上に切断された石塊]は現在の位置で全体が復元された。
*to put backは「元に戻す」で、togetherは「全体として」の意味。「全体として元に戻された」というのが直訳。
アブ=シンベル神殿への取り組み[=アブ=シンベル宮殿の工事]は4年半かかった。
それ[=工事]は、上昇する水位が神殿に届く直前、1968年の秋までにはすっかり終了した。
1979年、アブ=シンベル宮殿はユネスコの世界遺産(地域)に指定された。
4.1
最初、アブ=シンベル宮殿の問題を解決する方法を、だれも思いつくことができなかった。
彼ら[=エジプト政府]は国民の生活(水準)を向上させるためにひとつの遺跡を犠牲にすべきなのであろうか?
*the people: 国民;民族▼peopleにtheやaがついていると、「国民」などの意味であることが多い。
あるいは、彼ら[=エジプト政府]は、遺跡を保存するために国民の快適な暮らしを犠牲にすべきなのであろうか?
実際には、第3の方法があった。
*a third wayとっていて、the third wayとなっていないのは、優劣や序列とは関係なしに、たまたま3番目であるという意味。日本語訳は、a third wayでもthe third wayでも同じになってしまうけど。
人間による創意工夫と国際協力とが、第3の方法を見つけ出した。
4.2
アスワン=ハイ=ダムという新しいダムは、何百万人もの国民の生活を大いに向上させ、しかも、アブ=シンベルという偉大な神殿は今でもそこにあるのだ。
*the High Dam at Aswan(アスワンにあるハイ=ダム)は、ふつうAswan High Dam(アスワン=ハイ=ダム)と表記される。AswanはAbu Simbel同様、都市名である。
ラムセス2世は今でも、ナイル河のほとりにある王国を見守っている。
来(きた)るべき三千年の間に、彼[=ラムセス2世]は、どういった種類の人類の歴史を目にすると、あなたは考えますか?
〔了〕
追記:
アスワン=ハイ=ダムを建設したおかげで、ナイル河の氾濫はなくなったが、同時に、塩類集積の問題が生じた。どのような用水でも、微量とはいえ、塩分を 含んでおり、微量の塩分でも、乾燥地では、集積してしまう。その結果、現在のエジプトでは、約3分の2の面積の農地が塩類集積の被害にあえいでいる。
古代メソポタミア文明が滅んだ原因のひとつも、塩類集積であったとされる。
ダムがないときには、夏季にナイル河が氾濫することによって、塩類が押し流され、肥沃な土壌が上流から流れてきた。だから、乾燥地としては農業の生産性 が高かった。このことから、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜(たまもの)」と言ったのであるが、氾濫がなくなった結果、塩類集積 に苦しむようになったのは、皮肉だといえる。
なお、私がナイル・デルタの塩類集積について知ったのは『地球環境報告』(石弘之著、岩波新書(新赤版)33)によってです。詳しくは134ページから 138ページを図書館などで参照してください。『地球環境報告』は、内容も豊かで、いい本ですよ。しかも、相当に読みやすい文章です。出版された翌年の大 学入試からは、この本にある文章を地理の入学試験として出題した大学が多数あり、それも、そのままの文章を空所補充の形式で出題したところも少なくなかっ たそうです。それほど、内容も文章も充実しているんですね。
アスワン=ハイ=ダムを建設したおかげで、ナイル河の氾濫はなくなったが、同時に、塩類集積の問題が生じた。どのような用水でも、微量とはいえ、塩分を 含んでおり、微量の塩分でも、乾燥地では、集積してしまう。その結果、現在のエジプトでは、約3分の2の面積の農地が塩類集積の被害にあえいでいる。
古代メソポタミア文明が滅んだ原因のひとつも、塩類集積であったとされる。
ダムがないときには、夏季にナイル河が氾濫することによって、塩類が押し流され、肥沃な土壌が上流から流れてきた。だから、乾燥地としては農業の生産性 が高かった。このことから、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜(たまもの)」と言ったのであるが、氾濫がなくなった結果、塩類集積 に苦しむようになったのは、皮肉だといえる。
なお、私がナイル・デルタの塩類集積について知ったのは『地球環境報告』(石弘之著、岩波新書(新赤版)33)によってです。詳しくは134ページから 138ページを図書館などで参照してください。『地球環境報告』は、内容も豊かで、いい本ですよ。しかも、相当に読みやすい文章です。出版された翌年の大 学入試からは、この本にある文章を地理の入学試験として出題した大学が多数あり、それも、そのままの文章を空所補充の形式で出題したところも少なくなかっ たそうです。それほど、内容も文章も充実しているんですね。
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