掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

10.20.2012

Living Togather対訳


1.1
In May 1984Dr. Nakamura Tetsu started his volunteer activities in Peshawara northwestern town in Pakistan.
1984年5月、中村哲医師はペシャワールというパキスタンの北西部の町でボランティア活動を始めた。
or1984年5月、中村哲医師はパキスタンの北西部の町ペシャワールでボランティア活動を始めた。
There were a lot of differences in customs between the local people and the Japanese volunteers.
地元の人々と日本人ボランティアとの間に慣習の点で多くの違いが存在した。
These differences made it difficult for Dr. Nakamura to help the local people in the beginning.
こうした違いは、当初、中村医師が地元の人々に手助けを[=を援助]するのを難しくした。
1.2
In the Muslim traditionfor examplewomen are not allowed to show their skin to othersespecially to men.
イスラムの伝統にあっては、たとえば、女性は他人、とりわけ男性に対して(はだ)を見せることは許されていない。
This custom keeps Muslim women from going to see doctors.
この慣習はイスラムの女性が医師に診察を受けに行くことを妨げている。
(Respecting their customs,) Dr. Nakamura decided to employ female staff to take care of female patients and also to set up different days for examining men and women.
彼らの慣習を尊重していたので、女性患者の世話をするために女性職員を雇うことと、また、男性と女声の診察に対して異なる日を設定することとをも、中村医師は決心した。
→彼らの慣習を尊重していたので、女性患者の世話をするために女性職員を雇い、また、男性の診察と女性の診察とを異なる日に行なうことをも、中村医師は決心した。
1.3
Dr. Nakamura always tried to think about local customs (when he helped the people).
人々を救済するとき、中村医師は、常に、地元の慣習について考慮に入れるようと努めた。
With this sincere attitude he began to build a relationship of trust with them.
この誠実な態度によって、彼ら[=地元の人々]との信頼関係を構築し始めた。
1.4
Laterin 1991he opened a clinic in Dara-e-Nooran area with high mountains in Afghanistan.
のちに、1991年に、ダラエヌールというアフガニスタンの高い山脈のある地域で医院を開いた。
orのちに、1991年に、アフガニスタンの高い山脈のある地域であるダラエヌールで医院を開いた。
(Until he came,) people there did not have any access to medical services.
彼がやって来るまで、そこの人々は医療サービスがまったく使えなかった。
2.1
One day in June of 2000Dr. Nakamura found a large number of people in front of his clinic.
2000年の6月のある日、自分の医院の前にきわめて多数の人々がいることに、中村医師は気づいた。
They were waiting in a long line to see a doctor.
彼らは医師に診てもらうために長い列をなして待っていた。
Most of them were suffering from diarrhea {caused by dysentery}.
彼らのほどんどは、(せき)()によって引き起こされた()()に苦しんでいた。
Dr. Nakamura saw among the people a young woman with a baby in her arms.
中村医師はその人々の中に、腕に赤ん坊を抱いた若い女性を目にした。
The baby neither moved nor cried.
その赤ん坊は動きもしなければ、泣きもしなかった。
He was already dead.
彼はすでに死んでいた。
The woman looked sadand her eyes were appealing for something.
その女性は悲しんでいる様子で、その目はなにごとかを訴えていた。
"Those days," Dr. Nakamura recalls, "were [what can never forget |].  
「当時は」と中村医師は思い起こす、「私が決して忘れることができないものでした。
Many of the victims were small children.  
犠牲者の多くは小さな子どもたちでした。
was wondering [what had brought this about]."
何がこうしたことをもたらしたのか、私は考えていました。
2.2
That year a serious drought struck the area and dried up the river and the land.
その年、深刻な(かん)(ばつ)がその地域[=ダラエヌール]を襲い、川と土地を干上がらせた。
The people could not get clean water.
人々は清潔な水を手に入れることができなかった。
Some children drank from dirty puddles and got dysentery.
一部の子どもたちは不潔な(みず)()まりから(の水を)飲み、()()になった。
→なかには、不潔な水溜まりから(の水を)飲み、下痢になる子どもたちもいた。
"(If there had been clean water,) many more people would have survived," thought Dr. Nakamura.  "Please stay alive!  Hang on!"
「清潔な水があったならば、もっと多くの人々が生き残ったであろう[→死なずにすんだであろう]」と中村医師は考えた。「生き続けてください! 頑張り続けてくれ!」
With these prayershe decided to dig wells {which could supply clean water for the people}.
こうした祈りのことばとともに、人々に清潔な水を供給することができる井戸を掘ることを彼は決意した。
3.1
The project started in July of 2000.
事業は2000年の7月に始まった。
(Not knowing how to dig wells,) Dr. Nakamura asked for help from Japanese well-digging experts.
井戸の掘り方を知らなかったので、日本の井戸掘りの専門家の手助けを中村医師は求めた。
Many people were dying every dayso they needed to start digging wells at once.
多くの人々が毎日、死んでいたので、彼らにはすぐさま井戸を掘ることを始める必要があった。
But there were not enough machines to dig wells.
しかし、井戸を掘るための充分な機械がなかった。
In addition to the machinesthey decided to use the local people's traditional tools.
機械に加えて、彼らは地元の人々の伝統的な道具を使うことを決意した。
3.2
Dr. Nakamura found it far more difficult and dangerous to dig wells than he had expected.
井戸を掘ることは、自分が予測していたよりもはるかに困難で危険だということに中村医師は気がついた。
There were many huge rocks in the groundand this made it difficult to dig around them.
地中には多くの巨大な岩があり、しかもこのこと[=地中に巨大な岩があること]それら[=巨大な岩]の周囲を掘るのを困難にした。
The rocks sometimes fell from the walls of the wells and hit the people {who were digging deep inside}.
岩は、ときおり、井戸の壁[=(こう)(へき)から落ち、(井戸の)内部深くで掘っている人々に当たった。
In spite of such difficultythey continued the work.
そのような困難さにもかかわらず、彼らは作業を続けた。
By August of 2001they succeeded in making 512 wells.
2001年の8月までに、彼らは512基もの井戸を作ることに成功した。
Thanks to these wells200,000 people survived.
こうした井戸のおかげで、20万人もの人々が生き延びた[=死なずにすんだ]
They did not have to go to other places to look for water.
彼らは水を求めてほかの場所に行く必要がなかった。
3.3
Howevernot everything went well.
しかしながら、必ずしもすべてがうまく行ったわけではなかった。
A sad accident also took place during the project.
悲しい事故もまた、事業の間に起こった。
One daya young local worker fell into a well and lost his life.
ある日、地元のひとりの若者が井戸の中に落ちて、生命(いのち)を失った。
Dr. Nakamura visited the man's village to mourn his death.
中村医師は彼の死を(いた)むためにその男性の村を訪れた。
(When Dr. Nakamura met his family,his father said, "No one tried to come this far to help us.  
中村医師が彼の家族と()ったとき、彼の父親がつぎのように言った、「だれもわれわれを助けるためにこれほどまでに遠くに来ようとした者はありませんでした。
appreciate your project.  
私はあなたがたの事業を高く評価します[orあなたがたの事業に深く感謝いたします]
It saved the lives of 5,000 people in the village.
それ[=事業]は村の5千人もの人々の生命を救いました。
know [o my son was very proud (that he could work with you)]."
私の息子は、自分があなたがたとともに取り組むことができてたいそう誇りに思っていたことを私は知っています。
His words moved Dr. Nakamura deeply.
彼のことばは、中村医師を深く感動させた。
4.1
Snow in the Hindu Kush Mountains gives water to the land of Afghanistanbut there has been less and less snow year after year.
ヒンドゥークシュ山脈の雪がアフガニスタの大地に水を与えるが、しかし、年ごとにますます少ない雪が存在している[→雪はますます少なくなっていた]
Dr. Nakamura was afraid (that a serious drought might hit the area again) and (that the wells would not be able to supply enough water for both drinking and farming).
深刻な(かん)(ばつ)が再びその地域を襲うかもしれず、井戸は飲用ならびに農業用の充分な水を供給できなくなるかもしれないということを中村医師は怖れていた。
His next plan was to make a canal {which would be connected to the Kunar Rivera branch of the Indus River}.
彼のつぎの計画は、クナール川というインダス川の支流に結びつけられる用水路を作ることであった。
彼のつぎの計画は、インダス川の支流であるクナール川につながる用水路を作ることであった。
In March of 2003Dr. Nakamura started to construct a 14-kilometer-long canal.
2003年の3月に、中村医師は長さ14キロメートルの用水路を建設し始めた。
He chose to use local traditional tools again (so that the people would not have to wait to have the canal fixed with foreign aid (if it were damaged)).
もしもそれ[=用水路]が(そん)(しょう)した場合、外国の援助で用水路を修理してもらうのを人々が待つ必要がないようにするため、彼は再び地元の伝統的な道具を使うことを選択した。
In this waythey are able to handle it by themselves at any time.
このようにして、彼らはどんなときでも自分たち自身でそれ[=用水路]を扱える(ようになった)のである。
4.2
Everybody joined the project with hope for the future.
だれもが未来に向けての希望とともにその事業に加わった。
Together they shared a dream of connecting the people to a better life.
一緒になって、人々をよりよい生活に結びつけるという夢を彼らは共有したのである。
4.3
Dr. Nakamura has worked in Pakistan and Afghanistan for over 20 years.
中村医師は20年以上にわたってパキスタンやアフガニスタンで取り組んだ。
He has lived in the local areatalked with the local peopleand has tried to find out [what they really need |].
彼は地元の地域で暮らし、地元の人々と語り、彼が本当に必要としているものを見つけ出そうと努力している。
There were many differences between Dr. Nakamura's staff and the local people.
中村医師の職員と地元の人々との間には多くの違いが存在した。
It was not easy for them to find common groundbut the projects brought them together.
彼らが共通の基盤を見出すことは容易ではなかったが、しかし、事業は彼らをひとつにした。
"By working together with respect for one anotherwe can find common ground as human beings," says Dr. Nakamura.
「お互いに対する敬意をもって一緒に働くことによって、われわれは人類としての共通の()(ばん)を見出すことができます」と中村医師は言っている。
He will continue to share life's joys and sorrows with the people of this land.
彼は、この土地の人々と、人生の喜びと悲しみとを共有し続けるであろう。

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自分の写真

和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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