掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

10.15.2012

Audrey and Anne対訳



1.1
In 1943during World War IIHolland was under the control of Germany.
第2次世界大戦中の1943年、オランダはドイツの支配下にあった。
In Arnhem, a town in Hollanda skinny girl was riding a bicycle.
アーネム[orアルンヘム]というオランダにある町では、痩(や)せこけた女の子が自転車を漕(こ)いでいた。
She was trying to act naturally(because she was carrying a secret message in her shoe).
彼女は自然にふるまおうと努めていた。なぜなら、彼女は(自分の)靴の中に入れた秘密の伝言を運んでいたからである。
She was one of the messengers for the Resistance.
彼女はレジスタンス(運動)を支援する使い走り[=伝言の伝達役]のひとりであった。
Her name was Audrey.
彼女の名前はオードリーであった。
Later she played a lovely princess and became an actress {known all over the world}.
のちに、彼女は愛らしい王女を演じ、世界中に知られた女優になった。
1.2
Audrey Hepburn was born in BrusselsBelgium in 1929.
オードリー=ヘップバーンは1929年にベルギーのブリュッセルで生まれた。
She went to school in Englandbut (when Germany began a war with Britain in 1939,) her mother took her to Holland.
彼女はイングランドにある学校に通ったが、しかし、ドイツが1939年に英国との戦争を始めたときに、彼女の母親は彼女をオランダに連れて行った。
Soon the German army came into Holland and her life changed completely.
まもなく、ドイツ陸軍はオランダに侵攻し、彼女の人生は完璧に変化した。
Audrey's relatives were killed by the Nazis for helping the Resistance.
オードリーの親戚(しんせき)は、レジスタンスを援助したためにナチスによって殺された。
Without enough foodAudrey suffered from malnutrition.
充分な食べ物がなかったので、オードリーは栄養失調で苦しんだ。
Stillshe continued to carry messages and also raised money for the Resistance through her ballet dancing.
それでも、彼女は伝言を運び続け、バレエ(ダンス)をつうじてレジスタンスのために資金を調達した。
2.1
After the warAudrey moved to Hollywood and as an actress she made a sensational debut in Roman Holiday.
戦後、オードリーはハリウッドに移り住み、女優として『ローマの休日』で世間をあっと言わせるデビューを飾った。
Later onshe appeared in many moviesbut there were some roles {which she turned | down}.
のちに、彼女は多くの映画に登場したが、しかし、彼女が辞退したいくつかの役があった。
One of them was the role of Anne Franka Jewish girl.
それらのうちのひとつはアンネ=フランクというユダヤ人の少女の役であった。
2.2
Anne Frank was also born in 1929to a rich Jewish family in FrankfurtGermany.
アンネ=フランクもまた、1929年に、ドイツのフランクフルトの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。
In 1933they moved to AmsterdamHolland(because the Nazis started to put the Jewish people into concentration camps).
1933年に、彼らはオランダのアムステルダムに移り住んだ。なぜなら、ナチスがユダヤ人を強制収容所に収容し始めたからである。
But soon the German army entered Amsterdam and her family began to live in secret rooms at the back of a building.
しかし、まもなく、ドイツ陸軍がアムステルダムに侵入し、彼女の家族は建物の後ろの秘密の部屋で暮らし始めた。
2.3
During her secret lifeAnne continued to keep a diary.
秘密の生活の間、アンネは日記をつけ続けた。
Anne's family had been hiding for two years (when they were discovered and caught by the Nazis in 1944).
アンネの家族は、1944年にナチスによって発見され、捕らえられたときには、2年間にわたって身を潜めていた。
They were sent to different concentration camps.
彼らは(それぞれが)異なる強制収容所に送り込まれた。
Anne died from illness in 1945 in one of those camps(just two months before Holland was liberated).
アンネは、オランダが解放されるちょうど2か月前に、それらの収容所のうちのひとつで1945年に病気で死んだ。
Window 1
How did Anne's diary become known to the world?
アンネの日記はどのようにして世界(中の人々)に知られるようになったであろうか?
Otto FrankAnne's fatherwas the only family member {who survived the concentration camp}.
アンネの父親オットー=フランクは強制収容所で生き延びた唯一の家族の一員であった。
After the warhe came back and edited Anne's diary for publication under the title The Diary of Anne Frank in 1947.
戦後、彼は(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からオランダのアムステルダムに)戻り、1947に『アンネ=フランクの日記』という題名のもとでの出版のためにアンネの日記を編集した。
→戦後、オットーは(アウシュヴィッツからアムステルダムに)戻り、1947年に『アンネの日記』という題名で出版するためにアンネの日記を編集した。
3.1
Anne Frank never knew about Audrey Hepburnbut Audrey learned about Anne by reading her diary {published after the war}.
アンネ=フランクはオードリー=ヘップバーンについて決して知ってはいなかったが、しかし、オードリーは戦後に出版された彼女[=アンネ]の日記を読むことによってアンネについて知った。
"SReading her diary Vwas like reading about my own life," said Audrey.
「彼女の日記を読むことは、自分自身の人生について読むことに似ていました」といオードリーは言った。
"We were born in the same yearlived in the same country and went through the same war.
「私たちは同じ年に生まれ、同じ国で暮らし、同じ戦争を経験しました。
The difference was [that she was locked up and was on the outside]."
違いは、彼女は監禁されており、私は外側にいた[=自由でいられた]ということでした」
(When she was asked to play the role of Anne,) she turned it down (because Anne reminded her of her sad times during the war).
アンネの役を演じるようにと求められたとき、アンネは戦争中の悲しい時代を彼女[=オードリー]に思い出させるので、彼女[=オードリー]はそれ[=出演の依頼]を断りました。
3.2
Later in her lifeAudrey began to work as a Goodwill Ambassador for UNICEF.
彼女の人生で、あとになって、ユニセフ親善大使として活動し始めた。
"From my experienceunderstand the hardship of war and hunger," she said.
「私の経験から、私は戦争と飢餓との困難さを理解しています」と彼女は言った。
"thought [would need to do something]."
「私は何かをする必要があると考えました」
She traveled through many countries to help children {suffering from war and hunger}.
戦争と飢餓で苦しんでいる子どもたちを助けるために、彼女は多くの国々を旅行した。
One dayAudrey met a 14-year-old boy {suffering from illness} in a refugee camp in SudanAfrica.
ある日、アフリカのスーダンにある難民キャンプで、病気で苦しんでいる14歳の少年にオードリーは出会った。
She was shocked.
彼女は衝撃を受けた。
He had the same illness {that she had had | during the war}.
彼女が戦争中にかかっていたのと同じ病気に、彼はかかっていた。
"saw the truth.
「私は真実を見て取りました[=理解しました]
War and hunger are not natural disasters but man-made tragediesand there is only one man-made solutionpeace."
戦争と飢餓は自然災害ではなく、人間の作り出した悲劇であり、たったひとつの人間が作り出せる解決法があるのです。(それは)平和です。
4.1
At a UNICEF charity concert in 1990Audrey finally agreed to read out some lines from The Diary of Anne Frank.
1990年のユニセフ主催の慈善コンサートで、『アンネ=フランクの日記』の何行かを朗読することに、オードリーでは最終的に同意した。
(Although she never wanted to play Anne,she now knew how to share Anne's words with other people.
彼女はアンネのを演じたいとは決して思わなかったけれども、アンネのことばをほかの人々と共有する方法が、今や[orそのときには]、彼女にはわかっていた。
"think [she is happy (that today her words give comfort to so many children {having a hard time})]said Audrey.
「今日(こんにち)、彼女[=アンネ]のことばが、苦しいときを過ごしているとても多くの子どもたちに慰めを与えているので、彼女はしあわせだと私は思います」とオードリーは言った。
At lastshe was over her sad memories of the past.
漸(ようや)く、彼女は過去の自分の悲しい思い出を乗り越えたのであった。
4.2
(Although Anne had a hard time,) she always kept her respect for human beings and her hope for peace.
アンネは辛い時期を過ごしたけれども、彼女は人類に対する敬意と平和への希望とを常に抱(いだ)き続けた。
One day she wrote in her diary, "It's really a wonder [that haven't dropped my ideals].
ある日、彼女は(自分の)日記につぎのように書いた。「私が自分の理想を断念しないでいることは、本当に驚きです。
keep them(because in spite of everything still believe [that people are really good at heart])."
私はそれら[=理想]を抱き続けた。なぜなら、どんなことにもかかわらず[→ともかく]人々は心の底では本当に善良であると私は依然として信じています」
Anne left this world at the age of 15but her wish for peace and love for people were 1passed on to Audrey and 2shared by people all over the world.
アンネは15歳でこの世を去ったが、しかし、平和に対する彼女の希望と人々に対する愛とは、オードリーへと受け継がれ、世界中の人々によって共有された。

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自分の写真

和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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