掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

5.25.2008

One Step Beyond 対訳

One Step Beyond

一歩、踏み出せ

1.1

(When I was 30 years old,) I became a member of HALO, a volunteer group {that removes landmines in old war areas}.

30歳のとき、私はHALOHazardous Areas Life-Support Organization危険地域人命支援組織(英国の非政府系地雷撤去団体))という、かつての戦争地域で地雷を撤去するヴォランティア団体の一員となった。

I think [o this decision was influenced by my parents].

この決断は両親の影響を受けたものだと私は思っている。

They did a variety of volunteer activities (when I was young).

私が若いとき、両親はさまざまなヴォランティア活動を行なった。

1.2

I was born in nineteen sixty-two in a village near Salisbury, England.

私はイングランドのソールズベリー近くの村で1962に生まれた。

My father was a farmer, and I planned to become a farmer, too.

父は農業に従事しており、私もまた農業に従事するつもりだった。

(After I graduated from an agricultural college,) however, I 1changed my mind and 2decided to serve in the military.

しかしながら、農業大学を卒業したのち、私は考えを変え、軍務に就こうと決心した。

1.3

(When the Berlin Wall was torn down in nineteen eighty-nine,) I 1resigned from the military and 2started working for a finance company.

1989年にベルリンの壁が崩壊したときに、私は軍隊を退役し、金融機関で働き始めた。

I 1was quite successful at my job, and 2got a high salary.

私は職務に関して、きわめて成功していたし、高給を得た。

But something was missing in my life.

しかし、なにか大切なものが人生に欠けていた。

I had no purpose.

私には目標がなかった。

I began to believe [that S1doing something to help others was much more important than S2living only for myself].

他人を助けるためになにかをすることは、自分のためだけに生きることよりも、はるかにずっと重要であると、私は考え始めた。

1.4

Then I read about HALO.

その後、HALOに関するものを読んだ。

I decided to join.

参加することに決めた。

At first, they taught me Ohow to remove landmines.

最初、HALOの人々は地雷撤去の方法を私にレクチャーした。

Later, I was sent 1to Cambodia and then 2to Mozambique.

のちに、私はカンボジアに派遣され、ついで、モザンビークに派遣された。

2.1

March the seventh, nineteen ninety-five Northern Mozambique

199537日 モザンビーク北部

There are over 100 million landmines in the world.

世界には1億以上もの地雷がある。

Every day, 70 people step on landmines and 1are injured or 2lose their lives.

毎日、70人が地雷を踏み、負傷したり、落命したりする。

I strongly felt [that the work {o I was doing} was worthwhile].

自分が従事している仕事は価値のあるものだと強く感じていた。

2.2

One day, a young man was killed (while removing a landmine in Mozambique).

ある日、モザンビークで地雷撤去中にひとりの若者が亡くなった。

The next day, I was checking [how such a tragic accident could occur].

その翌日、そのような悲劇的な事故がどのようにして発生する場合があるのかを調査していた。

The sun was high in the sky and it was very hot.

太陽は空高く、非常に暑い日だった。

The job required a lot of careful, patient work.

その仕事はたいへんな量の念入りで忍耐強い作業を必要とするものであった。

その仕事が必要とする作業は念入りに忍耐強くしなければならないものであった。

It was no wonder [that I felt very weak].

強く脱力感を覚えたのは無理のないことであった。

Too much sun, I thought.

日差しが強すぎると私は思った。

I needed to rest somewhere.

私はどこかで休憩しなければならなかった。

I took three steps back along the path.

(これまで辿ってきた)経路に沿って(逆に)3歩、戻った。

3歩、あとずさりした。

On my third step, “Bang!”

3歩目で「バン!」という轟音が響き渡った。

My body was thrown up in the air, and then fell hard against the ground.

私の身体は空中に投げ上げられ、それから、地面に激しく落下した。

2.3

Everything was quiet.

なにもかもが静かだった。

I was lying on my stomach.

私は胃の側を下にして横たわっていた。

I tried to raise my right arm but it wouldn’t move.

右腕を上げようとしたが、どうしても動かなかった。

It was badly injured.

右腕は重症を負っていた。

I looked down at my right leg.

右脚を見ようと視線を下に向けた。

It was gone from the knee down.

膝(ひざ)から下はなくなっていた。

3.1

April nineteen ninty-five London

19954月 ロンドン

I couldn’t believe [o I survived the accident].

その事故で死なずにすんだことが私には信じられなかった。

But sometimes I thought, “SDying might be the easiest thing to do.”

しかし、ときには、「死ぬことは、行なうのが最もたやすいことであるかもしれない」と思うこともあった。

けれども、「死んだほうがよっぽどましだったのでは」と思うこともあった。

In a hospital in South Africa, my right arm was cut off below the elbow.

南アフリカの病院で、右腕は肘(ひじ)の下から切断された。

Later, I was moved to a hospital in London.

その後、私はロンドンの病院に移送された。

3.2

I started learning to use an artificial leg.

私は義足の使い方を学び始めた。

It was quite difficult and painful.

ひどく難しくて、苦痛を伴うものであった。

I felt irritated and depressed.

私はいらだちを感じたり、精神的に落ち込んだりもした。

I wanted to leave the hospital as soon as possible.

できるかぎり早く退院したいと思った。

3.3

One Sunday I saw the London Marathon on TV.

ある日曜日、私はテレビでロンドン=マラソンを観戦した。

STo win was the only goal of the runners.

勝つことがランナーにとっての唯一の目標であった。

Suddenly I realized [that it is very important S’to have clear goals].

不意に、明確な目標をもつことがきわめて重要なのだと私は悟った。

I decided to run in the London Marathon the following year.

翌年、ロンドン=マラソンを走ろうと私は決心した。

I was pleased [that I now had a clear goal to reach].

そのとき、到達すべき明確な目標を抱くことができて私はうれしかった。

I slept soundly that night.

その夜、私はぐっすりと眠った。

3.3

Later, the mass media heard about my plan.

しばらくして、マスコミが私の計画のことを聞きつけた。

The marathon became a charity event to make money for landmine victims in Cambodia.

マラソンはカンボジアの地雷の犠牲者たちのための資金を捻出(ねんしゅつ)するための慈善事業となった。

4.1

April the fourteenth, nineteen ninety-six The London Marathon

1996414日 ロンドン=マラソン

The day came.

その日が訪れた。

My first marathon was going fairly smoothly.

初めてのマラソンはかなり順調にいった。

But when I reached the 29th kilometer, my back hurt and I was bleeding between my knee and the artificial leg.

しかし、29キロメートル地点に到(つ)いたとき、背中が痛み、膝(ひざ)と義足の接しているところで流血していた。

Yet I was quite happy [that I was able to finish the marathon in 5 hours, 29 minutes].

とはいえ、5時間29分でマラソンを終えることができて、私はじつに満足であった。

4.2

From then on I ran in other marathons around the world.

そのとき以来、私はほかにも世界中のマラソンを走った。

In every country {o I ran in}, people 1lined the streets and 2cheered me on.

走った国ではどこでも、人々が通りに列をなし、私に声援を送った。

All this helped to increase interest in the anti-landmine movement.

こうしたことすべてが地雷禁止運動への関心を呼び寄せることに役立った。

4.3

In 1997, I got some great news.

1997年、素晴らしい知らせが舞い込んだ。

The International Campaign for Banning Landmines won Nobel Peace Prize.

地雷禁止国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞したのだ。

Also an official of the 1998 Nagano Olympics asked me [if I would carry the torch at the opening ceremony].

また、1998年の長野冬季オリンピックの役員が、開幕式で聖火ランナーを務めないかと打診してきた。

I accepted with pleasure.

喜んで、受諾した。

4.4

(As I entered the stadium,) the children started dancing happily around me.

スタジアムに入場したとき、子どもたちが私の周囲で楽しそうに踊り始めた。

I was so thrilled, but they reminded me of the many children {o I knew} with one or no legsvictims of landmine accidents.

私はたいへん感動したが、しかし、子どもたちは、私の知っている多くの子どもたち、それも脚が片方だけの子どもや、脚のない子どもたち――地雷による事故の犠牲者たち――のことを思い出させた。

私はたいへん感動したが、しかし、子どもたちを見ていると、私の知っている多くの子どもたち、それも脚が片方だけの子どもや、脚のない子どもたち――地雷による事故の犠牲者たち――のことを思い出した。

I hoped 1[o they were watching on TV], and 2[that they knew [o I was running for them]].

地雷事故の子どもたちがテレビを見ていて、あの子たちのために私が走っていると、わかってくれていたらなあと思った。

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自分の写真

和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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