掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

5.23.2008

Chagall: A Life of Love and Art 対訳


Chagall: A Life of Love and Art

シャガール:愛と藝術の人生
1.0
I and the Village (1911)
『私と村』(1911年)
1.1
This painting by Chagall is full of strange images.
シャガールによるこの絵は奇妙なイメージに満ちている。
Why is the big face green?
大きな顔はなぜ、緑色なのか?
Whose face is it?
それは誰の顔なのか?
Why did Chagall paint a small cow on the face of another cow?
なぜ、シャガールは、別の乳牛の顔の上に小さな九牛を描いたのであろうか?
You can see a few people and buildings.
みなさんには、数人の人間と数棟のビルが見える。
SSome of them are upside down.
それらのうちのいくつかは、逆さまになっている。
Where do these images come from?
こうしたイメージはどこからやってきたのであろうか?
1.2
In the picture, Chagall expressed parts of his life in a unique and interesting way.
絵で、シャガールは、独特でかつ興味深い方法で、自分の人生の一部をいくつか表現している。
SMost of the images have been created from his childhood memories of his hometown.
イメージの大部分は故郷の町の子ども時代の思い出から生み出されている。
SThe face on the right is Chagall himself.
右側にある顔はシャガール自身である。
1.3
Chagall was born in 1887 in Vitebsk, a city in Russia.
シャガールはロシアの町ヴィテプスクで1887年に生まれた。
SMost people in the city, including his family, were Jewish.
その町のほとんどの住人は、彼の家族も含めて、ユダヤ人であった。
Though his family was poor, he had a happy childhood.
一家は貧しかったが、彼は幸せな子ども時代を過ごした。
In 1907, Chagall went to an art school in St. Petersburg.
1907年、シャガールはサンクト=ペテルブルグにある芸術学校に進学した。
Later in 1910, with little money but big dreams, he left for Paris to study art.
のちに、1910年に、ほどんどお金はなかったが、大きな夢を携(たずさ)えて、彼は絵を勉強するためにパリへと出発した。
While in Paris, he often painted pictures of his hometown.
パリにいる間、彼はたびたび故郷の絵を描いた。
S“I and the Village” is one of them.
『私と村』はそれらのうちの1枚である。
2.0
Birthday (1915)
『誕生日』(1915年)
2.1
The flying young man is Chagall himself, and the woman with a bouquet is Bella, Chagall’s fiancée.
宙に浮かんでいる若者はシャガール自身であり、ブーケを持った女性はシャガールの婚約者ベラである。
Of course, S1Chagall couldn’t fly in the air and S2his neck was not so long.
もちろん、シャガールは宙に浮かぶことはできなかったし、彼の首はそれほど長くはなかった。
These images are expressing his supreme joy.
こうしたイメージは彼のこの上もない喜びを表現している。
2.2
Chagall first met Bella during a trip to his hometown in 1909.
シャガールは1909年に故郷へと向かう旅の途中にベラに初めて出会った。
It was love at first sight.
一目惚(ひとめぼ)れだった。
Before he returned to St. Petersburg, they agreed to marry in the future.
サンクト=ペテルブルグに帰る前に、ふたりは将来、結婚することに合意した。
Bella was only 14 years old then.
ベラは当時、まだ14歳だった。
During his years in Paris, Chagall was gradually becoming famous.
パリで過ごした期間、シャガールは徐々に有名になっていった。
At last in 1914 he decided to return home for Bella.
漸(ようや)く、1914年に、彼はベラのために故郷に戻ることを決意した。
2.3
Years later, Bella told the story about the painting.
数年後、ベラはこの絵について話をした。
I brought him some flowers for his birthday, but he had completely forgotten [that it was his birthday].
「誕生日にふさわしい花を何本か私はマルクに買ったのだけど、マルクは自分の誕生日だってことをすっかり忘れてたのよ。
Suddenly he said, ‘Don’t move,’ and he started painting.
不意に、『動かないで』と言って、マルクは絵を描き出したの。
Both our hearts were pounding.
私たちふたりの心臓はどきどきしていたわ。
When he had finished, he said, ‘We’ll call itBirthday.”
描き終えたとき、『この作品を[誕生日]と呼ぶことにしよう』ってマルクが言ったわ。
I’ll have finished a few more pictures of us before our wedding day.’”
結婚式までにぼくたちの絵をもう23枚描き上げるつもりだ』」
2.4
They got married about three weeks after the picture had been painted.
『誕生日』を描いた3週間後、ふたりは結婚した。
3.0
The White Crucifixion (1938)
『白い十字架(白い磔刑(たっけい))』(1938年)
3.1
When we think of Chagall’s works, bright and beautiful pictures come to mind.
シャガールの作品を考える場合、明るく美しい絵画が心に浮かぶ。
But this picture expresses a dark and tragic mood.
しかし、この絵は暗く悲劇的な雰囲気を描き出している。
People are running to escape the fighting.
人々が戦闘から逃れようと駆けている。
Some Jewish buildings are being set on fire.
ユダヤ人の建物のいくつかが放火されている。
In the center we can see the crucifixion of Jesus Christ.
中央では、イエス=キリストの磔刑が描かれている。
We also see a few Jewish rabbis.
また、ユダヤ教のラビ(律法学者)も数人、描かれている。
Is this just a religious picture?
これは単なる宗教画であろうか?
3.2
Chagall did not live only in a world of beautiful imagery.
シャガールは美しい比喩的表現の世界にのみ、暮らしていたのではなかった。
His pictures sometimes expressed the chaos around him.
彼の絵画はときには、彼をとりまく混沌(こんとん)を描きもした。
In his younger days, he had hard times during World War I and the Russian Revolution.
若かりし頃には、第1次世界大戦とロシア革命の間に辛い時期を過ごした。
3.3
In 1935, Chagall visited Poland and was shocked to find [that the Jewish people were being treated badly].
1935年、シャガールはポーランドを訪れ、ユダヤ人が不当に扱われているのを知って、ショックを受けた。
He foresaw great danger for the Jewish people, and the start of another war.
彼はユダヤ人にとっての重大な脅威と、さらにはつぎの戦争の始まりを予感した。
He painted pictures {warning the world of the danger}.
世界に危険を警告する絵画を彼は描いた。
世界(に人々)に脅威の警鐘を打ち鳴らす絵画を彼は描いた。
Soon after that, World War II broke out and the Holocaust began.
その後、まもなく、第2次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)し、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)が始まった。
In 1940 the Nazis took over Paris.
1940年にナチスはパリを占領した。
He feared for his safety and moved to the United States in 1941.
彼は自分の安全を心配し、1941年にアメリカ合衆国へと移住した。
4.0
Around Her (1945)
『彼女を巡(めぐ)って』(1945年)
4.1
This picture is both beautiful and sad at the same time.
この絵は、同時に、美しくもあり、哀しくもある。
SThe artist on the left is Chagall.
左側にいる芸術家はシャガールである。
His head is upside down and he looks upset.
彼の頭は逆さまであり、彼は動揺しているように見える。
SThe woman on the right is Bella.
右側にいる女性はベラである。
Why is she crying?
なぜ、彼女は泣いているのであろうか?
The girl {holding the ball} may be Ida, their daughter.
ボールを抱えている少女は、ふたりの娘イダであろう。
The ball looks like the crystal ball of a fortune-teller and contains a scene of their hometown.
ボールは占い師が使う水晶玉のようであり、ふたりの故郷の景色が中にある。
4.2
One day in September 1944, Bella suddenly became ill.
1944年のある日、ベラは突然、病に倒れた。
Two days later, something terrible happened.
2日後、なにかとんでもないことが起こった。
Bella died.
ベラが死んだ。
Before that she had been living a cheerful, full life.
それまでは、彼女は陽気で充実した人生を過ごしてきた。
Their happy life ended (35 years after they had first met).
ふたりの幸福な生活は終わった(初めて会ってから35年後である)
4.3
Chagall lost all interest for painting, art, and life.
シャガールは、絵画や芸術や人生に対する関心をすべて失ってしまう。
He didn’t pick up a paintbrush for the next nine months.
彼は、その後9か月間、絵筆を執(と)らなかった。
Finally, he began to paint pictures for the memory of Bella.
漸(ようや)く、ベラの思い出にふさわしい絵を描き始めた。
SAround Her is the first picture {o he painted after Bella’s death}.
「彼女を巡って」は、ベラの死後、彼は描いた最初の絵である。
He kept this picture at his home until his death in 1985.
1985年の自らの死まで、彼はこの絵を自宅に置き続けた。




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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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