掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

10.18.2008

―空間・場について―

 学生のときに友人に依頼されて代筆したレポート。たまたまバインダーのページの間にあるのを発見した。昔、自分が書いたものなのに、尻切れトンボで結論がないので、あのとき、自分はどういう結論にしたのかが、ちょっぴり気になっている。
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―空間・場について―

 キリスト教が支配的であった中世においては天動説が支配的であったが、コペルニクスによって転回せられた。ある意味では、この転回はギリシアの天文学へ戻ることにほかならなかった。確かに、便宜上、地動説を採用することはもっともである。天体の運動に関わる種々の計算自体が簡単になる。しかしながら、通常、コペルニクス的転回を、当然のこととして考えている哲学者が依然としているようだが、地動説とて、天動説同様に、絶対的なものではない。というのも、確かに地球は太陽の周囲を公転しているが、同時にその太陽系が含まれる銀河系それ自体も回転しており、また、この宇宙自体も膨張を今なお続けているのであり、したがって、われわれはこの宇宙のどこにもいわば“絶対的な座標”を見出すことはできないのである。にも拘(かかわ)らず、天動説よりも地動説の方が正しいと考えるのは誤りにほかならない。
 ニュートンなどは、絶対空間・絶対時間というものを考えていたようであるが、当時からも、たとえば、ライプニッツなどは絶対空間・絶対時間という考えに疑問を抱いていたし、相対性理論の登場によって、絶対空間・絶対時間もないとされるようになった。
 さて、空間を具体的に扱うのは、幾何学であり、物理学であるが、幾何学は、本来、ギリシアにおいて、エウクレイデスよって纏(まと)められ、そのユークリッド幾何学は長きに亙(わた)り、自明性ゆえに、唯一絶対の空間を表現するものと考えられてきたし、また、ユークリッド幾何学の体系の唯一絶対という印象が、同時に空間の唯一絶対という印象を与えてきた。
 ところが、ユークリッド幾何学の唯一絶対性は、リーマンやロバチェフスキーらによる複数の種類の非ユークリッド幾何学の出現によって崩れさり、しかも、幾何学というものに備わった公理論的性格が明らかになるにつれ、あらためて幾何学と空間との関係が問題となった。体系としてその内部では無矛盾な整合性を備えていても、公理系である限り、無定義概念を含んでおり、そういった無定義概念を残したまま、幾何学を具体的に経験世界を対応させることによって、記号体系であった幾何学は、経験科学としての物理的幾何学に変わる。ちなみに、このような関係、つまり、理論と現実との対応に関しては、現代論理学も同様の問題をかかえており、論理学と現実との対応を論じるモデル理論が不可欠になっている。
 公理論的性格をもち、複数の幾何学が成立可能であるが、このことが意味していることは次のようなことである。つまり、空間関係の計り方は経験的・物理的には様々であって(ちなみに、アインシュタインの相対性理論においてはリーマン幾何学が利用された)、われわれが空間関係を表現する様式の体系は多様であるということであり、いわば、空間は設計されるのである。そして、こうした多様な様式の体系の間には、様々な手段によって(喩(たと)えて言うならば、一見するとまったく異なる図形が射影幾何学においては函数(かんすう)が成り立つかぎりにおいて同一であると言えるのと同様に)、相互に翻訳が可能であると考えられている。
 さて、空間について、われわれは、通常、視野内や触覚野内の事物の配位関係に寄って認識する。身体感覚としての上下・左右や、視野内の事物についての上下・左右・奥前などの関係があってはじめて、そうした関係を成り立たせている一種の器としての空間という概念にわれわれが気づいたといえよう。
 ところで、現代でもなお、問題としてもちこされている2つの立場が空間に関してある。ひとつは、自分自身も含めた事物の存在なしには、空間を考えることは無意味であるという立場であり、もうひとつは、そうした事物の存在とは切り離して、抽象的な空間そのものを問題としようとする立場である。
 抽象的な空間を扱う立場は今もあり、決して否定しきれるものではないが、しかし、その立場で、空間論を突き詰めることは不可能である。というのも、たとえば、量子力学における運動方程式はニュートン力学のそれとは異なり、確率的性格を帯びており、観測者としてのわれわれの主観の関与する点が大きいのである。量子力学においてもそういう状態であるがゆえに、抽象的な空間のみを扱う空間論には、それだけでも限界があるように思われる。つまり、事物の存在や運動の器としての空間は、単に抽象的な空間として考えながら、その一方で、素粒子という極微の世界の運動などでは、観察者の主観の介在を求めざるを得ないという不一致に抵抗を覚えざるを得ないのである。
 とすれば、もう一方の空間論の立場、つまり、自分自身を含めた事物の存在なしに空間を考えるのは無意味であるという立場はどうであろうか。抽象的な空間のみを扱う空間論は、あくまでも自然科学に属するものに思われるが、しかし、自分自身をも含めた事物をも考慮に入れた上で空間論を展開する立場というものは、生きていくわれわれの生の在り様を積極的に関与するという点で、わたしは賛成したい。
 そこで先ず取り上げたいのは、フッサールにみられる空間に関する考察を取り上げてみたい。その中で中心となる概念は「“方向定位”としての身体」あるいは「“方向定位”の原点としての身体」であろう。つまり、動く“わたし”の身体は世界の中心であるということであり、空間はいかにして“わたし”の体験を通して、体系的に構成されるかという問い、すなわち“体験”をぬきにしてはあり得ない幾何学がいかに構成されるかという問いを立てる出発点としての概念といえるであろう。この場合、フッサールのイメージは動座標の原点としての“わたし”であり、フッサールの“身体”は、マッハのいう「感覚要素」とその全体性としての「函数的依存関係」という構想と並行して、体系的な空間の構成の原因として定立されたのであり、“方向定位”は、『イデーン』によれば、「空間的存在は、ただ何らかの或る一つの“方向定位”においてのみ直感され得、“現出し”得る」とされる。つまり、空間的存在がわれわれの意識に浮上する理由は、身体を中心においてその存在の空間的な位置を定めるという性格が体験の根源にあるからにほかならないということである。それゆえに、体験には空間を体系的に構成する力があるのである。この構想に基づいて、フッサールは、抽象的に構成される空間、すなわち、幾何学的空間が体験から形成される手続きを論理的に解明しようとしたのである。
 フッサールは“身体”と“体験”とを足がかりに、空間を構成しようと試みたのであるが、しかし、それが行き着く先は、生々とした具体的な空間ではなく、手続き上は、具体的な人間を経てはいるが、しかし、あくまでも人間不在の抽象化された空間でしかなく、座標に執着をみせた、古典的な硬直さをもった空間の図式でしかない。
 その一方で、ハイデッガーにしたがえば、空間はあらかじめあるのではなく、存在の“空間性”ゆえに、空間を発見するのであり、その場合、ハイデッガーは空間的秩序を機能論的に構成しようとした。ハイデッガーにおいては、現象は、もの(Ding)としてではなく、道具(Zeug)としてあらわれ、道具相互がもつ関連性において、われわれの存在の空間性は秩序立てられることになる。この場合、注目すべきことは、ハイデッガーが“隔たりをなくすこと”(Ent-fernung)という仕掛けを用いたことであり、デカルトの延長、つまり距離に対して、“近さ”という概念を導入した空間図式を作ったことである。これは、フッサールに見られる座標への執着や、古典的な硬直さをもった空間の図式と比べて、かなり融通のきく空間の図式と思われる。
 ハイデッガーにとっては存在の“空間性”ゆえに空間を発見すると述べたが、ハイデッガーの思考よりも一層日常に密着した思考ではあるが、この考えに近い側面をもつのがメルロー=ポンティの考えである。『知覚の現象学』において「われわれの身体が空間のなかにあるとか、時間のなかにあるとか表現してはならない。われわれの身体は、空間や時間に住みこむのである」とメルロー=ポンティは述べている。
 すでに述べたことだが、幾何学は、その公理論的性格から、唯一絶対では断じてありえない。あくまでも便宜的な規約としての役割しか果たし得ないのであり、われわれが空間を把(とら)える場合の便宜的なものさしでしかないのであるから、実は幾何学もある種のものさしとしての“道具”である。とすれば、道具

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 手許にある下書きはここまでしかない。自分でも続きが気になるところである。


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和歌山県橋本市出身。世界文化遺産である高野山の麓です。
和歌山県立橋本高等学校を経て、早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業。
B型Rh+。天秤座。家紋は「丸に九枚笹」。
大叔父(おおおじ)は精鋭集団である帝国陸軍航空審査部所属で、「キ61(きろくいち)の神様」と呼ばれた坂井雅夫少尉。キ61は三式戦闘機「飛燕(ひえん)」のことである。

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