掃除機496方式(英語名:HAL496 Systems)による英語などの学習方法を提唱するブログです。英文に関して、解説・対訳などの掲載を中心としています。訳し方は、そのときの状況によるので、直訳っぽいのもあったりします。転載及び2次使用可。(C) no rights reserved / aucun droits réservés / keine Rechte vorbehalten / 著作権全面放棄

10.03.2008

『宇治拾遺物語』巻第三「絵仏師良秀、家の焼くるを見て悦ぶの事」

当ブログに掲載している色つきの英文が、英国人やアメリカ人にどのように見えているのかが、ちょっと気になったので、古文で、品詞別に色をつけてみました。そうすれば、ネイティブ=スピーカーから見た「感じ」がわかるかなと思ったのです。英文のほうは品詞と文の成分をごちゃまぜにするというアクロバティックなことをしていますが、古文では難しいので、とりあえず、品詞別に色をつけてみました。

名詞  代名詞 動詞・補助動詞  形容詞 副詞 連体詞 接続詞 感動詞 助動詞  助詞

宇治拾遺物語巻第三絵仏師良秀焼く悦ぶ

これ絵仏師良秀いふ|ありけり

これも今は昔、絵仏師の良秀というものがいた。

より出で来押しおほひ責めけれ逃げ出で大路出でに|けり

隣家から家事が起こり、風が吹きまくって火が迫ってきたので、逃げ出して大通りに出た。

描かするおはし けり

人から註文された仏画も置いてあった。

また妻子など|ながらありけり

また衣類も着ていない妻子なども、みな家にいた。

それ知らただ逃げ出でたる事にし向かひ立て

それもかまわず、ただ自分だけ逃げ出せたのをよいことに、道の向かい側に立っていた。

見れすでに移りくゆりけるまでおほかた向かひ立ち眺めけれ

見ると、すでにわが家に火が燃え移って、煙や炎がくすぶりだす。それを、ずっと向かい側に立って眺めていた。

「あさましきこと。」とて人ども来とぶらひけれ騒が

「たいへんだ」と、人々が見舞いに来たが、まるで騒がない。

いかに。」言ひけれ向かひ立ち焼くるうちうなづき時々笑ひけり

「どうしました」と人々が言うと、向かい側に立って自分の家の焼けるのを見てうなずいては、時々笑っていた。

あはれつるせうとくかな

「ああ、これはたいへんなもうけ物よ。

年ごろ、わろく描きけるものかな。」

今まではまったく悪く描いていたものだ」

言ふとぶらひ来たる者ども

と言う時に、見舞いに来た者たちが、

いかにかくて立ち|たまへ

「これはまたなぜに、こうして立っておいでになる。

あさましきことかな

あきれたことだ。

もの憑き|たまへ 。」

物の怪がとり憑きなさったか」

言ひけれ

と言うと、

なんでふもの憑くべき

「なんでそんなものがとり憑くはずがあろう。

年ごろ不動尊火炎悪しく描きける|なり

長い間不動尊の火焔を悪く描いていたのだ。

見れかうこそ燃えけれ心得つる|なり

今見ると、こういうふうに燃えるものだと、それが分かったのだ。

これこそせうとく

これこそもうけ物だ。

立てあら|だによく描き|たてまつら百千出で来|

仏画の道を立てて世を送るには、仏さえ立派に描けるなら、家なんかいくらでも建てられよう。

わたうたちこそさせるおはせ|惜しみ|たまへ。」

あなたたちこそ、さしたる才能もお持ち合わせにならないから、物を惜しみなさるのだ」

言ひあざ笑ひてこそ立て|けれ

と言って、あざ笑って立っていた。

|良秀よぢり不動とて人々めであへ

その後の作であろう、良秀のよじり不動といって、いまだに人々がたたえ合っている。

というわけで、ネイティブ=スピーカーからの「感じ」はよくわからなかったが、この文に「形容動詞」がないということに気がついた。

形容動詞は、漢文脈というか、漢文の書き下し文で多く用いられる。「堂々たり」なんて、いかにも「漢文っぽい」じゃないですか。

『宇治拾遺物語』のような庶民的な読み物だと、形容動詞の使用頻度が著しく低いのかもしれないなあ。『平家物語』のような戦記物だと、勇ましさを演出するのに形容動詞が多くなるかもしれない。

馬鹿なことはやってみるもんだ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

テスト勉強で、形容動詞がないことに気づきました。が、このような理由があるとはkづきませんでした。
しかも、テスト終了後にこの品詞分解の訳文を発見し
、テスト前に知っていてばと、悔やんでいます。

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和歌山県, Japan
早稲田大学第一文学部哲学科哲学専修卒業、「優」が8割以上で、全体の3分の2以上がA+という驚異的な成績でした。大叔父は競争率180倍の陸軍飛行学校第1期生で、主席合格・主席卒業にして、陸軍大臣賞を受賞している。いわゆる銀時計組であり、「キ61(三式戦闘機飛燕)の神様」と呼ばれた男である。苗字と家紋は紀州の殿様から授かったものである。

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