当ブログに掲載している色つきの英文が、英国人やアメリカ人にどのように見えているのかが、ちょっと気になったので、古文で、品詞別に色をつけてみました。そうすれば、ネイティブ=スピーカーから見た「感じ」がわかるかなと思ったのです。英文のほうは品詞と文の成分をごちゃまぜにするというアクロバティックなことをしていますが、古文では難しいので、とりあえず、品詞別に色をつけてみました。
名詞 代名詞 動詞・補助動詞 形容詞 副詞 連体詞 接続詞 感動詞 助動詞 助詞
『宇治拾遺物語』巻第三「絵仏師良秀、家の焼くるを見て悦ぶの事」
これも今は昔、絵仏師良秀といふ|ありけり。
これも今は昔、絵仏師の良秀というものがいた。
家の隣より火出で来て風押しおほひて責めければ、逃げ出でて、大路へ出でに|けり。
隣家から家事が起こり、風が吹きまくって火が迫ってきたので、逃げ出して大通りに出た。
人の描かする仏もおはし けり。
人から註文された仏画も置いてあった。
また、衣着ぬ妻子など|も、さながら内にありけり。
また衣類も着ていない妻子なども、みな家にいた。
それも知らず、ただ逃げ出でたるを事にして、向かひの面に立てり。
それもかまわず、ただ自分だけ逃げ出せたのをよいことに、道の向かい側に立っていた。
見ればすでにわが家に移りて、煙・炎くゆりけるまで、おほかた、向かひの面に立ちて眺めければ、
見ると、すでにわが家に火が燃え移って、煙や炎がくすぶりだす。それを、ずっと向かい側に立って眺めていた。
「あさましきこと。」とて、人ども来とぶらひけれど、騒がず。
「たいへんだ」と、人々が見舞いに来たが、まるで騒がない。
「いかに。」と人言ひければ、向かひに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、時々笑ひけり。
「どうしました」と人々が言うと、向かい側に立って自分の家の焼けるのを見てうなずいては、時々笑っていた。
「あはれ、しつるせうとくかな。
「ああ、これはたいへんなもうけ物よ。
年ごろは、わろく描きけるものかな。」
今まではまったく悪く描いていたものだ」
と言ふ時に、とぶらひ来たる者ども、
と言う時に、見舞いに来た者たちが、
「こはいかに、かくては立ち|たまへるぞ。
「これはまたなぜに、こうして立っておいでになる。
あさましきことかな。
あきれたことだ。
ものの憑き|たまへ る か。」
物の怪がとり憑きなさったか」
と言ひければ、
と言うと、
「なんでふ、ものの憑くべきぞ。
「なんでそんなものがとり憑くはずがあろう。
年ごろ、不動尊の火炎を悪しく描きける|なり。
長い間不動尊の火焔を悪く描いていたのだ。
今見れば、かうこそ燃えけれ、と心得つる|なり。
今見ると、こういうふうに燃えるものだと、それが分かったのだ。
これこそせうとくよ。
これこそもうけ物だ。
この道を立てて、世にあらむに|は、仏だによく描き|たてまつらば、百千の家も出で来な|む。
仏画の道を立てて世を送るには、仏さえ立派に描けるなら、家なんかいくらでも建てられよう。
わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物を|も惜しみ|たまへ。」
あなたたちこそ、さしたる才能もお持ち合わせにならないから、物を惜しみなさるのだ」
と言ひて、あざ笑ひてこそ立てり|けれ。
と言って、あざ笑って立っていた。
その後に|や、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。
その後の作であろう、良秀のよじり不動といって、いまだに人々がたたえ合っている。
というわけで、ネイティブ=スピーカーからの「感じ」はよくわからなかったが、この文に「形容動詞」がないということに気がついた。
形容動詞は、漢文脈というか、漢文の書き下し文で多く用いられる。「堂々たり」なんて、いかにも「漢文っぽい」じゃないですか。
『宇治拾遺物語』のような庶民的な読み物だと、形容動詞の使用頻度が著しく低いのかもしれないなあ。『平家物語』のような戦記物だと、勇ましさを演出するのに形容動詞が多くなるかもしれない。
馬鹿なことはやってみるもんだ。
1 件のコメント:
テスト勉強で、形容動詞がないことに気づきました。が、このような理由があるとはkづきませんでした。
しかも、テスト終了後にこの品詞分解の訳文を発見し
、テスト前に知っていてばと、悔やんでいます。
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